大変貌を遂げた電気街
現在の秋葉神社は上野へ
スタンプは「万世橋とITの街」。平成17年(2005)のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるのが魅力です。また、メイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどでも賑わっています。その万世橋は電気街の南端にありますが、前身は延宝4年(1676)に架けられた筋違橋ですが、現在より150m上流にありました。明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にはその石材を利用して跡地にアーチ二連の石橋が架けられ、当時の東京府知事・大久保一翁によって萬世橋と命名されました。当時の読みは「よろずよ」でしたが、次第に「まんせい」の音読みのほうが定着したようです。明治36年(1903)には元万世橋と改称されますが、同39年(1906)に撤去されています。現在地に始めて架橋されたのは明治17年(1884)で、上流の昌平橋が流出したため、代表として架けられたものです。昌平橋が復旧すると新万世橋と改称され、明治36年(1903)に鉄橋に改架されて万世橋と改められます。現在のアーチ橋は関東大震災を経て昭和5年(1930)に架橋されたものです。
そして万世橋といえばご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館があり、スタンプの印影も最初はこちらが紹介されていました。左の旧スタンプ(現在はなし)は未押だったため、スタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でしたが、老朽化とバリアフリー対策などもあって平成18年(2006)5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。翌年10月14日には埼玉県さいたま市に後継の鉄道博物館が開館しています。
交通博物館の建物も平成21年(2009)から解体工事が始まり、跡地(写真左)にはJR東日本が主体となって地上20階、地下2階の「神田万世橋ビル(仮称)」を建築中。2012年12月上旬に完成予定となっています。
前置きが長くなりましたが、この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年(1888)に日本鉄道延長に伴い、台東区松が谷3-10-7に移転し、秋葉神社(写真右)となりました。そのため現在の秋葉神社は上野駅が最寄です。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。
次回の停車駅はいよいよ山手線の最終・神田駅です。
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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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