「連載記事」カテゴリーアーカイブ

スタンプ物語31・水道橋駅

後楽園散策もいいけれど

駅名由来の水道橋もお忘れなく

スタンプは「小石川後楽園」。観光ガイドなどでは次の飯田橋が最寄駅になっていたりもしますが、水道橋駅西口から徒歩10分程度で、飯田橋駅とさほど変わりません。ただし、スタンプは東口みどりの窓口前にあるからややこしい。東に伸びる中央線は東口・西口タイプの駅がありますが、これってホームの端と端なわけですから、出口が違うと徒歩の所要時間も5分くらい変わってしまいます。

後楽園は寛永6年(1629)に初代水戸藩主・頼房が築き、2代目の光圀(水戸黄門)が改修して完成させた回遊式泉水庭園です。7万㎡以上の広大な園内に四季折々の花が咲き、日本各地と中国の名勝を模した岩や橋などもあります。大正12年(1923)、国の史跡・名勝に指定された際に、日本三名園のひとつ岡山の後楽園と区別するため、「小石川」が冠せられました。
隣接する旧東京砲兵工廠跡地には、「後楽園」の名を冠した後楽園球場が昭和12年(1937)に開場。隣接して昭和24年(1949)には後楽園競輪、場外馬券売場(ウインズ後楽園)、昭和30年(1955)には後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)も開園しました。競輪場は昭和47年(1972)に閉場となり、跡地は昭和63年(1988)に東京ドームが完成。一方、東京ドームとなった後楽園球場は、東京ドームホテルやドームシティに生まれ変わっています。

一方、駅名になっている水道橋は、東口の神田川に架かっており、「神田上水」 の 「懸桶」(川を渡す木製の水道橋)に由来しています。神田上水は徳川家康が江戸に入府した天正18年(1590)に造られ、のちに承応3年(1654)に玉川上水が完成して江戸100万の人々の暮らしを支えました。東口から徒歩8分のところには東京都水道歴史館(左)があり、隣接する本郷給水所公苑には神田上水の石樋(右)が復原されています。
次回の停車駅は飯田橋駅です。


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スタンプ物語30・御茶ノ水駅

湯島聖堂とニコライ堂

エキゾチックな空間が

山手線の次は中央線、ただし東京支社のお江戸シリーズスタンプのあるのは西荻窪までですので、あらかじめご了承ください。なお、前回お知らせしましたように東京支社印のスタンプがカラフルになりましたが、新規で押印する時間がとれませんので、従来の黒色で紹介させていただきます。

先の山手線で東京駅・神田駅の解説は終わっていますので、中央線は御茶ノ水駅からになります。スタンプは「湯島聖堂とニコライ堂」。状態はあまりよくないのですが、国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」(右)も同じ内容で、まだ残っています。

湯島聖堂は元禄初期に5代将軍綱吉によって建てられた孔子廟がはじまりで、のちに幕府官立の昌平坂学問所に改められました。ここの大成殿は2006年のテレビドラマ『西遊記』のロケにも使われたようで、中国の雰囲気が楽しめる空間です。
ニコライ堂は日本ハリストス正教会の本部で、様式はビザンティン式のドーム型屋根が特徴。明治24年(1891)にコンドルの設計で竣工しました。その後、大正12年(1923)の関東大震災で上部が倒壊しましたが昭和4年(1929)に復興。昭和58年(1983)には国の重要文化財に指定されています。両者とも聖橋口から至近ですので、ぜひ見学されてはいかがでしょうか。

また、御茶ノ水橋口から徒歩2分の明大通り沿いの杏雲堂病院敷地内には『三河物語』の著者で知られる大久保彦左衛門(1560~1639)屋敷跡の碑も立っています。本名は忠教(ただたか)。「天下の御意見番」として活躍し、「大久保彦左衛門と一心太助の物語」は講談で有名になり、ヒーローとして活躍しました。大久保彦左衛門と一心太助の墓は港区白金2-2-6の立行寺(最寄は東京メトロ・都営地下鉄白金高輪駅)にあり、別名大久保寺とも呼ばれています。
次回の停車駅は水道橋駅です。


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スタンプ物語29・神田駅

スタンプの神田明神は

神田でなく御茶ノ水が最寄

山手線各駅停車の「スタンプ物語」もついに最後の神田駅となり、無事に一周して戻ってきました。
神田ということで毎年5月15日近くの土曜に行われる神田明神の神田祭の御輿が描かれていますが、神田明神の最寄は当駅ではなく中央線の御茶ノ水駅で、ホームにもその旨が表記されています。
神田祭は日本三大祭りのひとつに数えられ、山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったといいますが、路面電車の開通で山車の運行に支障をきたすようになり、さらに関東大震災で山車の大半が焼失したため、現在は御輿に替わっています。大祭は隔年で行われますが、艶麗で古風な行列の神幸祭、御輿宮入、太鼓フェスティバルなどが目白押しです。

神田明神は天平2年(730)に創建。承平5年(935)に反乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社近くに葬られ、延慶2年(1309)に当社の相殿神とされました。江戸築城に際して現在地に遷座してからは江戸総鎮守として尊崇されています。
境内には昭和50年(1975)に建立された随神門(写真左)や、昭和9年(1934)竣功の御神殿(写真右)のほか、多くの末社や銭形平次の碑などもあります。

しかし、神田であれば東側に北辰一刀流の千葉周作の道場・玄武館跡(写真左)や吉田松陰が刑場の露と消えた伝馬町の牢屋敷跡・刑場跡(写真右)などの史跡があるのですが、駅名にこだわるあまり御茶ノ水駅最寄の神田明神をスタンプに描いたのは明らかにミスキャストといえるでしょう。
次回からは中央線に入ります。次の停車駅はその神田明神の最寄となる御茶ノ水駅です。


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スタンプ物語28・秋葉原駅

大変貌を遂げた電気街

現在の秋葉神社は上野へ

スタンプは「万世橋とITの街」。平成17年(2005)のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるのが魅力です。また、メイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどでも賑わっています。その万世橋は電気街の南端にありますが、前身は延宝4年(1676)に架けられた筋違橋ですが、現在より150m上流にありました。明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にはその石材を利用して跡地にアーチ二連の石橋が架けられ、当時の東京府知事・大久保一翁によって萬世橋と命名されました。当時の読みは「よろずよ」でしたが、次第に「まんせい」の音読みのほうが定着したようです。明治36年(1903)には元万世橋と改称されますが、同39年(1906)に撤去されています。現在地に始めて架橋されたのは明治17年(1884)で、上流の昌平橋が流出したため、代表として架けられたものです。昌平橋が復旧すると新万世橋と改称され、明治36年(1903)に鉄橋に改架されて万世橋と改められます。現在のアーチ橋は関東大震災を経て昭和5年(1930)に架橋されたものです。

そして万世橋といえばご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館があり、スタンプの印影も最初はこちらが紹介されていました。左の旧スタンプ(現在はなし)は未押だったため、スタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でしたが、老朽化とバリアフリー対策などもあって平成18年(2006)5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。翌年10月14日には埼玉県さいたま市に後継の鉄道博物館が開館しています。

交通博物館の建物も平成21年(2009)から解体工事が始まり、跡地(写真左)にはJR東日本が主体となって地上20階、地下2階の「神田万世橋ビル(仮称)」を建築中。2012年12月上旬に完成予定となっています。
前置きが長くなりましたが、この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年(1888)に日本鉄道延長に伴い、台東区松が谷3-10-7に移転し、秋葉神社(写真右)となりました。そのため現在の秋葉神社は上野駅が最寄です。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。
次回の停車駅はいよいよ山手線の最終・神田駅です。


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スタンプ物語27・御徒町駅

春の訪れを告げる梅まつり

アメ横で魚介・乾物の買い物も

スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い、平成7年(1995)に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったのですが、撮りそびれました。なお、平成12年(2000)には湯島神社から湯島天満宮に改称しています。

湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われます。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が特別割引で拝観できるなどの催しがあります。
御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。昭和39年(1964)の地名改称で消滅しましたが、駅名などに残されています。また、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、400mに400軒の店舗が並び食品や衣類、雑貨、宝飾品などが業種ごとにまとまっています。とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。
次回の停車駅は秋葉原駅です。

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