10分歩いて鬼子母神
駄菓子とおせん団子に舌鼓
池袋のスタンプは「鬼子母神とすすきみみずく」です。鬼子母神は昨日の目白駅からも近いのですが、池袋でも東口から明治通りを南下すれば徒歩10分程度です。このスタンプには池袋~雑司ヶ谷間をLRT(超低床式路面電車)で結ぶ構想への意図が込められているかもしれません。まだ未知数ですが、実現すれば鬼子母神へのアクセスもグッと便利になりますから。
本当は都電荒川線に鬼子母神前の停留場があり、そこからが至近なのですが、樹齢数百年のケヤキ並木の参道の先に法明寺鬼子母神堂があります。鬼子母神とはインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供(500人とも1000人ともいわれる)を産みました。しかし、性質は暴虐で近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。そこでお釈迦様が末の子を隠して、我が子を失う母の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させたとのことです。
鬼子母神堂は永禄4年(1561)に山村丹右衛門が現在の目白台付近で鬼子母神像を掘り出し、東陽坊に祀ったのが始まりで、天正6年(1578)年に現在地に移ったといいます。現在の社殿は寛文4年(1664)の建立で、豪華な彫刻が施されており、東京都指定有形文化財に指定されています。
境内に一軒ある駄菓子の『上川口屋』(写真左)は江戸時代からの老舗で、毎年10月16~18日に行われる御会式大祭では『名所図会』にも描かれている郷土玩具すすきみみずく(写真右)を買うこともできます。1800年頃、病の母を看病する久米という娘が、家が貧しいため薬も買えず、鬼子母神にお祈りを続けていたところ、ある夜、夢枕に突然蝶(鬼子母神)が現れ、「すすきみみずく」の作り方を教えてくれました。これを門前で売ってみたところ、飛ぶように売れて母親の薬も買えるようになり、母の病気も治ったという孝行物語です。「すすきみみずく」はかつて数軒つくっているところがあったのですが、最後は鬼子母神脇の『音羽屋』だけになってしまい、その『音羽屋』も2010年に閉店してしまったそうです。後継者がいないのは悲しい限りですね。
「すすきみみずく」の閉店は寂しいですが、数年前に羽二重団子本舗澤野修一社長の尽力でおせん団子(写真左)が復活しました。おせん団子は鬼子母神に千人の子どもがいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるよにという願いに由来し、江戸期には鬼子母神参詣のお土産でも知られていました。鬼子母神境内の『大黒堂』で、毎週日曜と縁日(8・18・28日)におせん団子が売られています。
鬼子母神で最後にひとつ。扁額(写真右)をよくみてください。「鬼」の表記で第一画目の点がありません。これは鬼子母神が釈尊に諭されて改心し、角を外したという理由によります。
ところで池袋は現在でこそ新宿の次に乗降客数が多いのですが、明治28年(1895)に日本鉄道品川~赤羽間が開通したとき、何もない農村地帯だったため駅が設けられませんでした。明治35年(1902)にようやく信号所として開設し、その後、現在の山手線となる田端への支線を分岐する際に、当初予定されていた目白での分岐を、地形の問題や住民の反対で池袋に変更されたため、翌年に駅として昇格しました。しかし、その後も駅の東側に広大な巣鴨プリズンがあったため、思うように発展しませんでした。サンシャインシティや東武・西武の百貨店など派手な変貌を遂げるのは戦後のことです。
池袋にはそんな発展を記すような1985年9月30日の埼京線開業記念スタンプ(右)のほかに1988年3月13日の東北・高崎線の電車乗入記念スタンプ(2種類)が東口駅長室に保管されています(2012年1月現在)。もっとも駅長室までスタンプを押しに訪ねてくる客も稀のようなので、筆者が訪れたときは、ずいぶんと気持ちのよい応対に感激しましたが。
次回の停車駅は大塚駅です。
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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
(鉄道コム登録ニックネーム:すたんぷ大王)