駅真裏に聳える断崖からの直瀑の滝が何たるかを探る

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[場所]JR豊肥本線 豊後竹田駅

大分県の豊後竹田といえば「荒城の月」の曲(メロディ)の着想を得たとされる岡城址がある町としてご存知の方も多いはずだ。
さてその町の玄関口・JR豊肥本線 豊後竹田駅プラットホームに降り立つと、駅真裏に断崖が聳えており、しかもこの崖には岩盤上部から水が流れ落ちる直瀑の滝もあって、その隣には神社が鎮座しているという霊場のような光景が間近に目撃できる。
市街地の鉄道駅脇に断崖が聳り立っているだけでも驚きなのに、そこに瀑布までが座しているとは、まさに鉄道珍風景と言えるだろう。ということで、せっかくだから、豊後竹田駅で下車して駅裏の滝を訪ねてみた。

豊後竹田駅プラットホームからの北向き(大分方)の眺め。左に断崖上よりの直瀑の滝、中央に神社の社が見える。車輛はJR九州キハ200形200番台。
プラットホームにある落門の滝の説明板。とりあえず「落差六十メートル」に注目。
豊後竹田駅のラッチを抜けると、「荒城の月」の作曲者として有名な滝廉太郎の胸像が出迎えてくれる。「荒城の月」のモデルになった城は、メロディは岡城址だが、作詞の土井晩翠がイメージしたのは仙台青葉城と会津鶴ヶ城なのは皆さんご存知だろう。だからか、豊後竹田駅に歌詞の碑はみあたらない。
この滝の名は「落門の滝」といい、またの名を「下木の滝」ともいう。
「落門」の方の名前の由来は江戸時代後期の儒学者・広瀬淡窓が詠んだ漢詩の一節「断崖落泉大夫門」に拠っているとのこと。その辺の経緯などは上々写真の説明板に記されているので、参照していただけたらとお願いしたい。

■それでは駅の裏へ向かおう
豊後竹田駅の駅舎は落門の滝とは反対側に建っている。なので当然ながら駅前広場も滝とは反対側に広がっている。

豊後竹田駅駅舎の駅前広場側からの眺め。裏にプラットホームがあり、その背後の断崖に落門の滝が見える。
落門の滝へは、この駅前広場の前を左右に通っている道を左(北東)へ進んで、左側約30m先の細道に入ると約80m先のトコロに「下木踏切」があるので、それを渡ったらスグの道を左折すると150mほど先の右側に滝が覗える。

落門の滝へ向かう途中に線路越しに眺めた落門の滝。右には神社が鎮座している。
下木踏切からの落門の滝と神社の眺め。車輛はJR九州キハ200形。
下木踏切を渡った先からの落門の滝方の眺め。右の朱色の鳥居が神社の門前。
■滝へ行く前に手前の神社へ立ち寄ってみた
タイトル回りの写真や、3枚上の写真に写っている、断崖の途中に鎮座する神社に興味を抱いた方もいるのではないだろうか。
内実、筆者はその一人で、社がどのような地形に建っているのか気になったので立ち寄ってみた。

岩盤がくり抜かれたトコロに鎮座する社と、ナゼ配置的に朱色の鳥居&階段が左端にきたのかの経緯が知りたくなる。現・駐車場に何か重要な建物があったのだろうか?
社名は「岩下火伏稲荷神社」という。記事では「岩下稲荷神社」と略させていただいた。ご理解いただきたい。
岩下稲荷神社の社前の境内。左下には豊後竹田駅の構内が見える。
この神社の名前は「岩下稲荷神社」という。
訪ねて解ったことは、社は岩盤を削って造ったスペースに建っているということ。社の前がそれほど広くないので境内全体を撮った写真がないのが残念だが、上の写真でだいたいの鎮座イメージを掴んでいただけただろうか。
境内から眺めた豊後竹田駅構内の風景にて、この項は締めよう。

上写真の境内左角から豊後竹田の構内を眺めてみた。車輛はJR九州キハ125形。右に落門の滝が見える。
■いよいよ落門の滝へ…
岩下稲荷神社から一旦道路へ降りて、先(南西)へ50mほど進んだ地点の右側に落門の滝の滝壺(といってもコンクリート製の受け皿)がある。

落門の滝の滝壺。とりあえず、左の通路前右の看板に注目。
そして上方を見上げると断崖の上に滝口が見える。

上写真と同地点から見上げた落門の滝の滝口。縦スクロールのHPだと、何か違和感(笑)。
滝の落差は約40mと60mの2つの説がある。地平レベルかor受け皿の高さかの違いかと思われるが、それにしてはコノ2点間の高さの差が20mもあるようには見えないのだが・・・。別の計測の仕方もあるのだろうか。
滝壺には上々写真左に写っている階段を昇れば近づくことができる。

■滝口の左奥には下木石仏…
ところで、上々写真の階段入り口右に説明板が立っているのだが、コレが落門の滝の解説かと思ったら然にあらず。滝壺の左(南西)側にいる「下木石仏」を説明しているボードだった。

上々写真左の通路前右の説明板のアップ。これを読まずに「下木石仏」を訪れてしまうと負けになる(汗)。
下木石仏がいる場所へは、滝壺を間近に見られる地点から反対(南西)方を向くと階段があるので、それを昇ったら辿りつける。石仏は階段の先に立つ「下木石仏」と記された石標の右側にいるらしい・・・。

滝壺の地点からの反対(南西)向きの眺めで、左の階段を昇った上右に「下木石仏」が座してる・・・と言われている(笑)。
上で「らしい・・・。」と記したのは、筆者のような古仏の素人が訪問する際に「下木石仏」が磨崖仏だという予備知識がないまま訪ねると、ドレが石仏なのかサッパリ判らないままの探訪になってしまうということ。実は筆者がその一人だからの自戒で、とりあえず岩盤アチコチの写真を我武者羅に撮っておいた。その中で下木石仏が写っていると思わしき画像が下の写真になる。

石標の左の岩盤に「下木石仏」がいる・・・らしい。もっとじっくり拝顔すれば良かったが後の祭り(汗)。
この下木石仏のいる場所からは豊後竹田駅構内が眼下に眺められたので、その写真も載せておこう。

上地点からの反対(南西)向きの眺め。右に鎮座しているのは石の祠。
そして同地点からの豊後竹田駅を眺めたトコロ。ここが駅舎の真裏になる。
ちなみに冒頭で落門の滝について「またの名を『下木の滝』ともいう。」と記しているが、その名の由来はこの「下木石仏」になる。

この際だから滝口まで行ってみよう

直瀑の滝って、せっかくなら滝口にも行ってみたくなるのは人の常ではなかろうか? そのようなわけで、時間もあったので滝口まで歩いて行ってみた。行き方としては、一旦下木踏切の地点まで戻り、北西方向へ山越えのルートを進む。トンネルの上の道で尾根を越えてから、さらに反時計回りに迂回していくわけだが、詳しくはグーグルマップを見ていただいた方が解りやすいと思うので、道順は省略させていただく(謝)。
滝口まではそれなりに道はあるので辿り着ける。
そしてその滝口の先に鎮座しているのが下写真の神社になる。

落門の滝への水路の滝口から50mくらい上流に鎮座している豊川稲荷神社。
この神社の名前は「豊川稲荷神社」という。
ココから少し戻ったトコロに滝口があるのだけれど、それを見てしまうと呆気にとられてしまう方も居るかも知れないので、ネタバレ注意と、ひと言記しておこう。

落門の滝の滝口。見てはいけないモノを視てしまった気がする。
実は落門の滝は江戸時代前期に豊後国岡藩が築いた灌漑の農業用水の末流が落下しているモノ。
珍風景には、現実を知らない方が幸せな場所もある。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。