直方市石炭記念館屋外展示車輌を眺める…前篇

軌間1,067mmゲージ車輌の部

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR筑豊本線(福北ゆたか線)・平成筑豊鉄道伊田線 直方駅南方約500m

九州の筑豊地区は、いまから約50年ほど前までは炭鉱がいっぱいあって、たくさんの石炭が出炭されていた。この筑豊炭田の歴史を後世へ伝えるために、福岡県直方市に「直方市石炭記念館」が1971年に開館した。
さて、そのような記念館の建物内には筑豊炭鉱に関する模型や資料・石炭塊などが展示されているが、鉄道旅好きにとっては屋外展示物に見どころが多かろう。ということで、それらを前篇&後篇の2回に分けて紹介していこう。

直方市石炭記念館の敷地に入ったスグ左(東側)に鎮まるコッペル32号SLの勇姿。後ろは砂運車ロト22号。
■直方市石炭記念館とは…
JR筑豊本線(福北ゆたか線)直方-勝野 間or平成筑豊鉄道伊田線 直方-南直方御殿口 間の列車に乗車していると直方駅から南に500mくらいの地点西側丘の上にSLが置かれているのを目撃した方は多いであろう。
ここが「直方市石炭記念館」になる。

直方市石炭記念館の入り口。なんと鳥居が立っているのでコレは「境内地跨線橋」!?
JR筑豊本線(福北ゆたか線)と平成筑豊鉄道伊田線を跨ぐ跨線橋。桁は転車台の廃品を転用したと言われている。
跨線橋上からの南西向きの眺めで、SLが直方市石炭記念館の目印。その左奥にはナローゲージのノッポELも見える。
直方市石炭記念館は先にも記したが1971年に開館した産業博物館で、本館になっている建物の「筑豊石炭鉱業組合直方会議所」は直方市の文化財に指定されていたが、2018年10月15日には、この本館に加え「救護練習所模擬坑道」が文化財保護法に基づいて国史跡「筑豊炭田遺跡群」に指定されている。

コッペル32号蒸気機関車

上に記した、線路から見えるSLがこの「コッペル32号」になる。

コッペル32号の右斜め前。右はコレ以上サイドを入れて撮れる場所はない(汗)。背後にある建物の左が別館、右が本館(元・筑豊石炭鉱業組合直方会議所)で、室内には資料などが展示され炭鉱の歴史を伝えている。
コッペルとはドイツの機械製造会社「オーレンシュタイン・ウント・コッペル」社の略称で、日本では同社製の蒸気機関車を指す愛称に使用される場合が多い。このことは当サイトの読者なら皆さんご存知であろう。

コッペル32号の左斜め前。
ココに展示されている「コッペル32号」は1925年(大正14年)に福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)の貝島大之浦炭鉱が資材運搬用としてドイツから輸入した専用線の蒸気機関車で、1976年8月の同炭鉱閉山までの52年間に渡り活躍したカマになる。

コッペル32号のキャブ脇に貼られた銘板。
コッペル32号の後ろに連なっている貨車は砂運車ロト22号。サイドには「荷重11屯・自重5屯」の標記がある。

右斜め後ろ。ロト22号の妻側を撮るにはコレが限界(笑)。

■モニュメント
コッペル32号の前にあるコンクリート塊が気になった方が居ると思うので、その写真と説明文をココでご紹介。

コッペル32号前に建立された「直方救護練習所之の跡」のモニュメント。
上のモニュメントの左に掲出してある説明板。

■説明板
この際だから屋外展示施設各所に掲出されていた説明板のうち、後篇で紹介予定のナローゲージ系以外の解説プレートも、この項で紹介してしまおう。

別館前の説明板。
本館前。右が石炭記念館の説明板で、左の説明板は手前に並ぶの硅化木(けいかぼく)の解説。
上写真手前の硅化木の解説を、せっかくなのでココで全文載せておこう。「硅化木は石炭層の中にふくまれている木の化石です。日本の古第三紀層(3千万年~6千万年前)に属する筑豊炭田でも一般に松岩と呼ばれる不燃性の岩石があるが之が硅化木です。硅化木は石炭層の上・下層の砂岩や頁岩のなかにあって強い地圧を受け硅素など浸入によって大木の根元が石化したものです。自然がつくりだしたこの硅化木のみごとな年輪と木目をとくとご覧ください。この硅化木は宮田町大之浦炭鉱で掘られたものです。」 以上になるが、年輪と木目の写真は残念ながら撮っていない(汗)。

石炭記念館の説明板のアップ。

C11 131

直方市石炭記念館にはSLがもぅ1両保存展示されている。

C11 131号の右斜め前。
元・国鉄の「C11 131号」で、日本車輌名古屋にて1938年(昭和13年)2月22日製造のNo.566になる。最初の配属は門司局大分区で、早岐区→西唐津区→直方区→若松区→直方区→門司港区→門司区と九州内を渡り歩き、1971年1月7日廃車。1974年2月16日国鉄門司鉄道管理局長↔︎福岡県直方市長間で無償貸与契約締結、2018年4月29日に汽車倶楽部により整備され、現在に至っている。

C11 131号の左斜め前。後ろに石炭車セム1号を従えている。
左斜め後ろのセム1号側。

■セム1
C11 131号の後ろに連なっている貨車がセム1形「セム1号」になる。

セム1号の左斜め前側。右の像はタイトルが読めないので、作者の主張が伝わらないが、坑夫3人がモチーフの作品。題字は読めるように書いていただきたい(笑)。
掲出の説明板によると「この石炭車は明治37年に当時の九州鉄道行橋製作所で製作されたもので、セム第1号という記念すべき石炭車です。明治40年に国鉄が九州鉄道を買収した時に、同時に国鉄に移管されました。製作時は9トン積でしたが、明治44年には13トン積に、昭和9年には15トン積と車体の改造を行いましたので、炭箱あたりは昔と全然違ったものになっているようです。(日本国有鉄道九州総局)」云々…。諸元は車体長6,020mm、荷重15t、自重7.6tなど。

セム1号の足回り。右斜め後ろはコレ以上離れられないので、足回りのアップにて失礼(汗)。
セム1号の右斜め前。

下の写真は、石炭化学館の前に掲出プレートで、石炭は燃料だけではなく、製鉄に必要な資源であることを語っている。
またココには記されていないが、最近は石炭が燃焼する際に生じるフライアッシュがコンクリートの強度を増進する骨材で着目されている点を、筆者からの一言として申し添えておく。

石炭化学館の入り口脇に貼られた説明板。
後篇ではナローゲージの車輌をメインにお届けしよう。

直方市石炭記念館
開館時間・入館料は下記参照。


※アップ日時点では「年間パスポート」と「4館共通フリーパス」は扱いが無いようである。詳細は下記URLにて。
http://yumenity.jp/sekitan/

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。