境内地を通る踏切を訪ねる…滋賀県米原市・坂田神明宮

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[場所]JR北陸本線 坂田-田村

神社仏閣の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる不定期シリーズです

全国の鉄道路線の中には神社仏閣の境内地に踏切が通っている場所がタマにある。そしてその景色って「ナゼここに!?」って意外性があり不思議な気分にさせてくれる。
当サイトでは、そのような境内ナカにある踏切を「境内地踏切」と名づけて訪ねる不定期シリーズを展開しているが、この度2021年10月からの約2ヶ月チョイぶりにご紹介しよう。
ということで、登場するのは滋賀県米原市に鎮座する坂田神明宮の境内地踏切だ。

坂田駅下り線プラットホームからの北向きの眺め。223系がまさに掛かろうとしている地点にあるのがこの度 境内地踏切 として紹介する「神明神社踏切」。
JR北陸本線 坂田-田村 間といえば、交直デッドセクションが1991年9月13日まであった区間として当サイトの読者の中にはご存知の方も多いだろう。ただし、交直デッドセクション跡(とはいっても要になっていた部分の設備は残っていない…)は田村駅寄りにあるが、坂田神明宮は坂田駅寄りにあるので、両方を兼ねて巡るのにはやや無理があるが…。
そんな訳で、坂田神明宮へは坂田駅を利用することになる。

こちらは上り線プラットホームからの北向きの眺めで、電車は223系。
上写真を見ていただけると判ると思うが、坂田神明宮の鎮守の杜の中を北陸本線の線路が見事に貫通している。そして社殿などは西(上写真左)に鎮座しているが、手水舎などは東(上写真右)に配されているため、この間に境内地踏切がある。
ところでそんな最寄駅の坂田駅だが、改札口は上下線のプラットホームに個別に設置されている。ラッチ外の地下通路で上下線プラットホームがつながってはいるが、坂田駅下り線プラットホーム利用なら社殿側へ踏切を渡らずに直接行けるので、境内地踏切に興味が無い方なら線路沿いの道を進めば150mほどで着いてしまい便利ではある。しかし本記事のテーマが境内地踏切なので、一旦地下通路を抜けて東側の本屋口を出て、そこから北へ向かい、一の鳥居から訪ねることにしよう。

■まずは坂田神明宮の東側にある一の鳥居へ向かって行くとしよう
一の鳥居は坂田駅本屋口前の道を北(田村方)へ150mほど進んだ交差点の右に立っている。

一の鳥居は神明鳥居。参道はココから南向きにくぐる配置になっている。
坂田神明宮の社殿は南を向いているのだが、県道243号よりの表参道入り口となる一の鳥居は北側から入るように立てられている。
この複雑な境内配置は後述するとして、初めに一の鳥居から西50mほどの地点にある神明踏切から南(米原方)を向いて「神明神社踏切」を眺めていこう。

県道243号の神明踏切東淵からの南向きの眺めで、681系特急「しらさぎ」がまさに掛かろうとしている地点にあるのが「神明神社踏切」。
神明踏切西淵からの南向きの眺めで、電車は223系。
線路の左右に樹木が鬱蒼と茂っていて、この森が共に鎮守の杜なことは一目瞭然で、その境内の両側を結ぶために設置されたのが神明神社踏切だということが解るだろう。
そうしたら、また一の鳥居まで戻って南進、20mくらいの地点西側にある太鼓橋を渡って境内へと入っていこう。

太鼓橋を東側から眺めたトコロ。その奥に北陸本線の線路が見える。
■いよいよ境内西側の鎮守の杜へ
太鼓橋を渡ると二の鳥居の右(北側)脇に境内案内図が立っている。
先に境内の配置を言葉で説明するのは難しいと思ったので、上では「後述」とさせていただいたのは下の写真を見て貰ってから説明した方が解りやすいだろうと思ったからになる。

二の鳥居の脇に立つ境内案内図。上が北になる。
二の鳥居の前からの反対(東)向きの眺め。左の鳥居は一の鳥居。
上の境内案内図を見て貰えば解る通り、一の鳥居からまず南へ約20m進み、右折して西へ向かい太鼓橋を渡ってすぐに立っている二の鳥居をくぐり線路の手前で左折、30mくらい行った右側に目指す「神明神社踏切」がある。
それでは、二の鳥居をくぐり、左折して神明神社踏切へ向かおう。

二の鳥居で、こちらも神明鳥居。奥の線路を走っているのは681系特急「しらさぎ」。
二の鳥居のチョット奥からの左(南)向きの眺め。先に見えるのが神明神社踏切。電車は223系。
神明神社踏切は、二の鳥居から南に30mほどの所にある。
なおこの踏切と直行する参道部分には鳥居が立っていないので、踏切と鳥居を絡めた写真が撮れないのが境内地踏切としては、やや残念ではある。とはいえ、ここまで見てきた通り、神社の境内地踏切なことは明確だろう。

■境内地踏切を渡り社殿側へ
この辺りの北陸本線はほぼ南北に走っているので、神明神社踏切を渡る道は当然東西に通っている。
踏切を渡り、その道を20mくらい進んだ位置から右(北側)に拝殿へ向かう参道がある。
すでに境内案内図を掲載してあるので解っていると思うが、参道は変形コの字型のかなり稀な配置の境内スタイルになっている。

参道の東西に通る部分の線路西側からの東向きに眺めた神明神社踏切。電車は223系。
そして上地点から90度左(北)を向くと、拝殿が見える。
上にも記したが、坂田神明宮の社殿側の区画には、坂田駅下り線プラットホーム側の改札口からなら、北陸本線沿いの道を北へ150mほども歩けば踏切を渡らずに辿りつけるが、とは言え当サイトは「鉄道 旅」をコンセプトにしているため一の鳥居からグルッと迂回する道案内をしている。なので、神社巡りだけが目的の方は、こちら側から直で行った方が便利なことは申し添えておく。

上写真左に立っている「坂田神明宮の由緒」の説明板。
上の「坂田神明宮の由緒」によると御祭神は 天照大御神 と 豊受比売命 になる。
さて、その先の説明を読んで驚いたのだが、なんとこの神社は「元伊勢」の伝承地であること。
元伊勢とは簡潔に説明すると、崇神天皇の御代に大和國にあった宮中に祀られていた八咫鏡が現在の伊勢の地へ移るにあたり一時的に宮所が置かれた場所のことを指し、坂田神明宮には垂仁天皇の御代に八咫鏡が鎮座していたそうだ。ココは日本史のHPではないので説明はこのくらいにして、もっと詳しく知りたい方は「元伊勢」で検索していただきたくお願いする。

拝殿のさらに北側奥に幣殿が建ち、そに中に内宮と外宮が鎮座している。
謎の形の灯籠の左の社は稲荷社で、その左奥に眞奈井池がある。
拝殿の先には幣殿があり、その奥には内宮と外宮が鎮座している。
また拝殿の東側には眞奈井池があったりと、坂田神明宮が元伊勢の系譜であることを知らしている。

裏参道(?)も北側から入る配置になっている。
拝殿前からの南向きの眺め。田園が広がり、五穀豊穣を願う近江の鎮守に相応しい風景だ。
拝殿への参道の入り口から180度反対を向くと豊穣の水田が広がっている。境内が変形コの字型なのは、神々が鎮座している場所から近江の地の豊作を見守るためなのでは…といった感じが伝わってくる神社である。

坂田駅本屋口の駅舎がカフェ!?

坂田駅の本屋(東)側に立つ駅舎は、室内が「近江母の郷コミュニティハウス」として活用されている。

駅東口側に建つ駅舎を利用して「近江母の郷コミュニティハウス」が2017年11月に開設された。
下り線の西側改札口からだと、地下通路を使って東側へと行くことができる。

下り線の西側改札口からは地下通路で東口へと抜けられる。
地下通路を抜けると目の前に駅舎利用の「近江母の郷コミュニティハウス」が建っている。
駅舎的には「近江母の郷コミュニティハウス」ということで、展示スペースなどもある。

展示スペースには東海道新幹線100系と0系の写真が飾ってある。
その北側奥は「田んぼっ湖カフェ」という店舗になっていて、ボランティアやシルバー人材が活躍する地域の憩いの場になっている。

田んぼっ湖カフェの題字は伊吹高校「墨人」の筆によるそうだ。
駅舎内北側には地元で穫れた野菜や果物売り場スペース。スイカが写っていたりして、撮影時期がモロバレである(笑)。
北奥の左側にはカフェスペースが設けられている。駅前広場北側手前には「近江母の郷コミュニティハウス」の専用駐車場も少しあるので、道の駅としても利用できそうだ。
営業時間 9時〜15時
定休日 水曜日
※社会情勢により営業時間と定休日は変わる場合があります。
詳しくは下記URLにて。
https://maibarand.shiga.jp/tanbokko-cafe/

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。