鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅北東約600m
ココで言う「横丁トロッコ」とは、私有地のみに敷設されたトロッコ軌道の中でも、さらに建物内とかにあって人知れず活躍してきた、短かく小規模なトロッコ軌道を指す。とは言え特に決まった呼び方はないので、趣味人によっては「横丁軌道」とか「横丁鉄道」といった呼び方をしている人もいる。
横丁トロッコは何のために存在するのか。それは、旧街道などに発達した元宿場町とかで、商店街の通りに面した昔の商家は間口が狭く奥行のある建物が多々見受けられるが、まあこれは封建時代の商家は間口の寸法で税率が決められていた名残と言われているけれども、そんな歴史的立地の関係から、この手の細長い店舗は手前に売り場があって奧に倉庫が配された間取りになっている場合が多い。なので、その手前と奧の間で荷物を運ぶ手段が必要になってくる。コレいまならキャスター(手押し車)で済むだろうが、たとえば100年くらい前にはそんなコンパクトな運搬手段はなかった。そこで考えられたのが狭小ゲージのトロッコだったのだろう。
一般(?)に知れ渡っている横丁トロッコでは神奈川県鎌倉市の三河屋本店、埼玉県川越市のお食事処林屋が挙げられよう。
さて、そんな横丁トロッコが伊勢神宮のお膝元の三重県伊勢市河崎に現存している。
伊勢河崎は 豊受大神宮(伊勢神宮外宮) から見てJR・近鉄 伊勢市駅 の丁度真逆にある商家や蔵が建ち並んでいる古くからの町で、起源は室町時代中頃に川のほとりの葦原を埋め立てて造られたと言われ、「伊勢の台所」とも呼ばれて、ある意味、伊勢の下町的観光スポットともいえるだろう。
■まずは外観から紹介しよう
横丁トロッコが敷設されている建物は「和具屋」という商家で、現在は「伊勢まちかど博物館」にもなっている。
3枚上の写真を見てもらえば解る通り、やはり間口が狭く、細長い敷地に建った建物であった。
そして上の写真の説明文からは、和具屋は元禄時代に魚問屋として創業、現在の母屋と土蔵は1757年(宝暦7年)に建った建物で、1800年代に陶器問屋へと改装されたことが読み取れる。
ということは、この1800年代にトロッコ軌道が敷設されたと想像できる。1800年代でも後期なら明治時代なのでレールの敷設は十分にありえるだろう。
■次は中へ入っていこう
出入り口は通りに面していて、そこで一声掛けると和具屋の方が出てきてくれる。
ここで100円を支払えば、中へと入れる。
トロッコ軌道の総延長は64mで、その線路の一番奧にトロッコ車輛が停まっていた。
■トロッコ車輛を見てみよう
横丁トロッコの車輛は…、そう訊いて京都の嵯峨野観光鉄道のような車輛を想像する人はいないと思うが、それでもココで運用されていた車輛は、鉱山軌道などの産業用トロッコよりもさらにシンプルで、もう台車と言った表現でも過言ではない代物だった。
メジャーで軌間を測ったトコロ約520mm前後と中途半端なゲージであったが、おそらく元は508mm(20in)で、レールが錆びて細くなったために広くなったのだと想像できる。
■土蔵の2階も眺めてみた
横丁トロッコを見学にきたのだが、館主との話の流れで「土蔵に江戸時代の物がある…云々。」と、語っていただいたので、蔵の2階の中も見せてもらうことになった。
個人の興味になるが、江戸時代の物よりも、大東亜戦争中の軍服(一等兵)が普通に違和感なく吊るされていたのに驚かされた。
伊勢まちかど博物館和具屋は陶器店でもある
和具屋は「伊勢まちかど博物館」を名乗っているが、現役の陶器店でもある。実は、筆者は磁器にも少々興味があって、綺麗な伊万里焼があったので館主に値段を問うたら「売り物ではない。」と言われたため、改めて売ってくれそうな裏印刻印入り銅版絵付けのお皿を見つけたから館主(この場合は店の人)に訊いたら、ものすごい安い値段を言ってくれたので、申し訳ないのでさらに徳利を2個プラスして購入したのが下写真の磁器セット(?)になる。
和具屋の地図などは下記URLから。
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/da/detail?kan_id=835500
記事は、大むかしの経緯については館主の話を基にしています。とはいえ、文章中で一部に憶測も交えた曖昧な表現の部分もありますが、コレは旧跡を巡る時には古(いにしえ)や昔日に想いを馳せるのも一つの旅スタイルであろうとの考えから、あえて記している点をご理解いただきたくお願いします。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。