富山県営渡船でプチ鉄道連絡船気分

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

かつて海峡を渡っていた連絡船に思いを馳せて妄想旅行(笑)

[場所]万葉線新湊港線 越ノ潟駅+α

富山県の万葉線(株)新湊港線は鉄道路線で終点が越ノ潟駅なのは、当サイトの読者ならご存知だろう。そして、その先には渡船発着場を経て富山県営渡船へと乗り継げることを知っている方も多いであろう。
この越ノ潟だが、運行本数がかなりある鉄道駅とフェリーをほぼダイレクトに乗り継げる場所として、青函連絡船と宇高連絡船なき後、国内ではかなり貴重な存在といえるのではないだろうか。そこで、どんな乗り換えスタイルなのかを見てみたく訪ねてみた。

堀岡発着場にある富山新港周辺地図。ナゼが下が北。
なお、本気な(笑)カーフェリーと鉄道をダイレクトで乗り継げる駅としては南海電鉄和歌山港駅があるし、短・中距離フェリーと軌道線電停なら広島電鉄広島港(宇品)が、長距離フェリーと新交通なら神戸ポートライナーポートターミナル駅が、とりあえず挙げられる。
では、越ノ潟を眺めてみよう。

■新湊港線は昔、富山地鉄射水線だった
いまの地形からはビジョンしずらいが、なんとその昔、越ノ潟より先(南東方)に富山地鉄射水線の線路が延びていた。

越ノ潟駅方からの南東向き 越の潟発着場 方の眺め。電車はデ7070形デ7076号。
射水線といえば、かつて富山市の新富山駅~射水市(新湊地区)の新港東口駅(現・堀岡発着場付近)を結んでいて、1980年4月1日付(最終営業日は3月31日)で廃止された路線のイメージが強い。
現在の路線網を見ても実感が涌かないけれど、富山新港建設によって港口を切るため1966年(昭和41年)4月5日に 越ノ潟-堀岡 間が廃止される以前にはその新富山駅方面と線路がつながっていた。というか正確には、六渡寺-越ノ潟 間の鉄道線区間も富山地鉄射水線の線路だったが、同日に加越能鉄道に譲渡。後の2002年4月1日に万葉線の線路になった。

越の潟発着場ターミナルの駅側全景。右が通路と休憩室。奥にフェリーボートが見える。
上のターミナルの北側からの眺めで、手前はトイレ。
「自転車・バイク通路」内からの越ノ潟駅(北西)方の眺め。電車はMLRV1000形MLRV1003ドラえもんトラム。
越の潟発着場は富山新港の港口的には西岸にある。この日に運航されていたフェリーボートは「海竜」だった。旅客の乗船に加え、自転車と原付が搭載できる。
いよいよ出航。まずはバック向きで後進して離岸する。正面は越の潟発着場ターミナル南東側。
■渡船は2隻で運航
富山県営渡船は通称「越ノ潟フェリー」と呼ばれている。航路は約770m。運賃は無料。
運用には「こしのかた」と「海竜」の2隻が就航している。筆者が訪れた日に運航されていたのは「海竜」であった。
それではいよいよ富山新港横断航路を、越の潟発着場から堀岡発着場へ向かって船旅を始めよう。

針路を堀岡発着場(東南東)へとり推進を開始。左のコンクリート橋は「新湊大橋」。右の煙突は北陸電力富山新港火力発電所だ。
せっかくだから「海竜」の外観を眺めておこう。まずは左舷斜め前。
そして「海竜」の右舷斜め後ろ。
出航から3~4分で東岸にある堀岡発着場の埠頭が近づいてくる。航海時間的には5分が予定されている。
■そして対岸の堀岡発着場に到着
上の一連の写真を見て、港の停泊船などから、ずいぶんと大きくて深い堀込式港湾だなあ…と思った方も居るのではないだろうか? 実は富山新港になっている所は、元は「放生津潟」と呼ばれた潟湖で、海(富山湾)との境界には砂州があり、上述している港口の切断以前はそこに当時の富山地鉄射水線と、国道415号が通っていたのだ。
富山新港の起工は港口切断前の1961年(昭和36年)4月で、掘削浚渫して1968年4月に開港している。
海を渡る時、そんな過去に思いを馳せながら景色を眺めるのも面白い。

堀岡発着場の岸壁に前向きに着岸。
堀岡発着場の待合室。時刻表から日中は1時間あたり2本の運航なのが解る。
堀岡発着場ターミナルの南東側からの眺め。バス停が左に4本、出入口前に1本の計5本も立っている。
堀岡発着場ターミナルの北東側からの眺め。この右150mほどの所に次で紹介する「射水線の痕跡モニュメント広場」がある。
タイトルでは「プチ鉄道連絡船気分」と大げさに記してしまったが、ちょっとした船旅気分なら味わえるはずだ。
さて、プチ船旅は達成したものの、堀岡に着いて、そのままトンボ返りするだけでは、ただの修行になってしまう(笑)。せっかく来たのだから、何かランドマークを一ヶ所くらい訪ねておきたいと思う方も居るのではないだろうか?
そのような方にお勧めのスポットが一つある。それが下に掲載の「射水線の痕跡モニュメント広場」になる。

「射水線の痕跡モニュメント広場」にはレールのモニュメントがある。
そのモニュメントのゲージは1,067mmピッタリ。
「射水線の痕跡モニュメント広場」に立つ説明板。富山新港がその昔は潟湖だったことを伝えている。
なお、筆者は渡船によって 越の潟⇔堀岡 間を往復しているが、復路のリポートは都合により省略させていただく。
ところで、上述の記事中で「渡船」と「フェリー」という語句を時々により臨機応変に使い分けているが、筆者の認識にはなるが、「フェリー」が渡し船~長距離フェリーまでを含む広義な総称で「渡船」はその中の分類とみなしている。集合の記号で標記すると、
渡し船 ⊆ 渡船 ⊆ フェリー ⊇ カーフェリー(短~長距離) ⊇ 長距離フェリー
とでもなるだろうか? ご理解いただけたら幸いだ(笑)。

彼方に見える帆船は!?

上々写真で、彼方に見える帆船が気になっている方も居るのではないだろうか?

3枚上の写真に写っている帆船を同地点から望遠レンズで捉えてみた。
この帆船は「海王丸」で、1930年(昭和5年)2月14日に進水した元・商船学校の練習船になる。
世界各地を航海した後、1989年9月16日に用途廃止(現役引退)、1990年に富山新港へやってきた。

海王丸パークから眺めた「海王丸」。この場所へは越ノ潟駅からでも歩いていけるが、海王丸駅からの方が近い。
「海王丸」は現在、一般公開されている。
定休日があり、乗船料が掛かるので、詳細は下記URLにて。
www.kaiwomaru.jp/koukai/
 
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。