駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(13)三重県・伊勢奥津駅

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR名松線 伊勢奥津駅

駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです

伊勢奥津駅があるJR名松線は、JR紀勢本線松坂駅から布引山地(西)方へ向う営業キロ43.5kmの距離の非電化行き止まり路線で、伊勢奥津駅はその終点駅になる。
名松線が伊勢奥津駅まで全通したのは1935年(昭和10年)で、この時すでに旅客列車は一部で気動車化が進められていたが客車列車と貨物列車はSL牽引により運行されていたので、そのSLに給水するための給水塔が遺構としてではあるが、いまでも駅の片隅に立っており往時を偲ばせてくれている。
なので、これはある意味モニュメントであろう…というのと、他にも諸々見どころがあったので、筆者の判断からこのシリーズで伊勢奥津駅を紹介することにした。

到着列車からの前方展望で眺めた伊勢奥津駅。いまでこそ一面一線の棒線駅だが、以前には機回し線があった。
現時点の名松線は旅客列車のみの運転になり、全てが気動車により運行されている。そんなわけで、伊勢奥津駅は終着駅といえども機回し線が必要なくなった。

現在の名松線で主力として活躍しているキハ11-300番台。写真の車輛は筆者が松坂駅から乗車してきたキハ11-303。
とはいえ、全列車が気動車になったのは1965年10月1日だけれども、伊勢奥津駅が1面1線化されたのは2005年2月の新駅舎完成に伴なってのタイミングなので、それまではSL牽引列車が走っていた頃の面影が残っていたことになる。

伊勢奥津駅プラットホームから車止め方を眺めた光景。車止めの先には目的の給水塔の遺構が見える。そして天気はナゼか雨(笑)。
まぁそれにしても、現在では当時の配線を思い起こさせてくれる痕跡はない。
ということで、さっさと給水塔へ向かおうと思い駅舎を通ったわけだが、その待合室の壁面に名松線の昔日の写真が展示されていたので、まずはそれから紹介していこう。

2005年2月に完成した伊勢奥津駅の新駅舎で、左半分~は津市の施設で、右半分が駅舎。
写真と一緒に沿線案内も掲示されている。
伊勢奥津駅に機回し線があった頃の写真も貼ってあったりする。
ちなみに、新駅舎は奥(車止め)側に「津市八幡出張所」と「八幡地域住民センター」を併設している。建物は窓が大きく採られていて中が垣間見れたのだが、チラ見できた室内では公民館のような市民の集まりを行っているのが窺えた。

駅舎の西(車止め)側…というか「八幡地域住民センター」側。奥の緑色のグリーンカーテンの向こうが伊勢奥津駅駅舎になる。
その前を通り、もう一つの建物「津市伊勢奥津駅前観光案内交流施設・観光案内所ひだまり」の前も通って給水塔が立つ芝生広場に辿り着く。

右が車止めで、その先に給水塔の遺構がある。
車止めのアップ。車輛はキハ11-300番台キハ11-303。

「…ひだまり」の中にも鉄道写真が展示されている

上記で、もう一つの建物「…ひだまり」…に触れているが、ココは地域の物産販売所でもあるので、建物には出入り自由(開館時間のみ・水曜日定休)になっている。で、ナゼか給水塔見学の帰路に突然のドシャ降りの雨に見舞われたため雨宿りに立ち寄らせて頂いた。そうしたら、こちらにも鉄道写真が展示されていたのを発見したので、コレも紹介してしまおう。

3枚上の撮影位置から反対(左)側を眺めると「…ひだまり」の建物がある。
モノクロ写真なのが却って良い雰囲気をかもし出しているかも。
こちらは気動車化されてからの写真。
このイラストは絵葉書があるらしい。それはともかく、鹿の角まで売っているのには大笑い。
なお、このことにより往きに建物前を通った時に気になっていたヘッドマーク風の展示物もジックリと眺めることができたので、それも紹介しておこう。

上写真の入口にあったヘッドマークを激写(笑)。
そのヘッドマークのアップ。ホンモノである。

昔は各地のローカル駅の駅舎待合室には、地元の写真愛好家と思わしき方の四ッ切りくらいの鉄道写真が飾ってあったりして、撮影場所の参考にさせて頂いたりしていたが、最近はトンと見なくなったことに気がついた訪問でもあった。

駅前は伊勢本街道の奥津宿

伊勢本街道は大和国(現・奈良県)と伊勢神宮を結ぶかつてのメインルートで、伊勢奥津駅がある津市美杉町には宿場が置かれていた。まぁその辺の詳細はヨソの歴史サイトに譲るとして、同駅前には本街道華やかりし頃の名残りと思わしき建物がそれなりに残っていて、軽く散策するには楽しい場所といえる。

宿場町の面影を伝える建物。回廊的に微妙に角張り曲がった姿が見どころ。
上の建物のショーウインドーにディスプレイされた名松線へのメッセージ。

上の建物のもう一つのショーウインドー。超アナログ時代の集金帳などを展示。
伊勢本街道奥津宿の歴史を伝える説明板。
名松線が2009年の台風18号により10月8日から全面運休し、松阪-家城 間は2009年10月15日には運転再開したが、家城-伊勢奥津 間はさらに~2016年3月25日まで列車が運行休止していて、全線で運行が再開されたのは2016年3月26日だった…なことは当サイトの読者ならご存知と思う。
実は、筆者が伊勢奥津駅を訪れた理由は、名松線のうち運行再開した 家城-伊勢奥津 間を眺めてみたかったからであり、それで必然的に終着駅の伊勢奥津まで行くことになったというわけだ。
ただし運行再開から約4年も経っているので、これをネタに記事を書いてもイマサラだし、また伊勢奥津駅に給水塔の遺構が立っているのは知っていたが、それだけでは「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる」シリーズを組めないだろうから、この訪問で記事を書けるとは思ってもいなかった。けれども、駅舎内の壁面に鉄道写真を展示しているのを見て、コレは紹介しなくてはと感じ、この度記事に書いてしまったしだいだ。
読者の方が、ここまで読んでイタダケていたら幸いだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。