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[場所]JR片町線 大住-京田辺
天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです
本記事で取り上げる路線の正式名は片町線だが、愛称に学研都市線が設定されているので、表題回りの[場所]は正式名を使用したが、メインタイトルにはせっかくなので愛称を記してみた。なお文中では片町線を使用していく。記事の統一性がないが、賢明な読者の方なら同じ路線を指していることを理解していただけると思う。
さて、そんな片町線の 大住-京田辺 間には天井川が流れており、これを線路は掘削隧道によって通り抜けている。
この隧道は「天神川トンネル」という名称で、線路周辺は平地が広がり、その中を河川だけが高い堤防により直線で流れるという、まさに天井川のイメージ通りの風景が展開している。
天井川については、以前の2016年1月6日アップ「日本で最初に作られた鉄道トンネル石屋川隧道を訪ねてみた」の記事中でも説明しているので詳細はそちらに譲るが、まぁ、地平レベルより川底が高い河川と言えば理解していただけるだろう。
では、天井川掘削隧道の「天神川トンネル」を西(大住)側からまず眺めていこう。
天神川トンネルは片町線京田辺駅の北西約500mほどの場所にある。トンネル坑門東(京田辺)側へ行くのにはもちろん京田辺駅からが近いが、西(大住)側へ行くのにも京田辺駅からが便利で県道旧22号八幡木津線を経由するのが行きやすい。
次は堤防に登って、川筋と、上からの景色がどんな風なのかを眺めてみよう。
なお、天井川の堤防は川筋の東西にあるが、行き(上がり)やすさの観点から東(京田辺方)側の右岸のみにさせていただいている点をお許し願いたい。
ところで、上写真を見ていただくと解ると思うが、西側(対岸・大住方)左岸堤防はナゼか片町線が貫通している天神川トンネル上の堤内地(居住地)側法面だけに竹林が茂っていて、線路真上から足下を通る電車を眺められる場所はない。また訪れた時期が夏だったという関係もあるだろうが、東側堤防のトンネル上の堤内地側法面には雑草が生い茂っていたため、筆者が訪れた時には京田辺方も線路真上から足下を通る電車を眺められる場所はなかった。
そんなわけで、上にある川の流路を入れて、その下を直角にくぐる鉄道線路を正面から撮れる場所は現時点ではない。
ということで、京田辺方の鉄道線路と川の流路をともに入れた写真は土手上の上流(南)50mくらいの場所から撮ってみた。
それでは京田辺方の堤防下の堤内地へ降りてみよう。
なお、堤防下へは上写真の場所からさらに上流150mくらいの地点に鎮座するお社脇に細い階段があるので、そこから堤防を上り下りできる。
上写真は、上々写真の鉄道線路から上流(南)へちょうど同じくらいの距離にあたる堤防下からの下流(北)側の眺めで、左が天井川の堤防だが、住宅街に隣接して巨大構造物が聳えているのが解る。
では、先に見える踏切までいってみよう。
この踏切は「第四田辺踏切」と呼び、天神川トンネルの京田辺(東)側坑門の目の前で線路を渡っている。それがあまりにもトンネル坑門に近いため列車を配した写真では天井川の掘削隧道っぽくないが、列車が行った後に踏切から坑門を眺めてみると、掘削断面と反対側の景色が見える程の長さから、天神川トンネルが天井川の掘削隧道なことが、こちら側だとよく解る。
せっかくなので、第四田辺踏切と第三田辺踏切(京田辺寄り・東側)のちょうど中間辺りから撮った、天井川の上までが入った天神川トンネルの写真をお見せして天井川掘削隧道の記事を締めくくることにしよう。
下流600m程に架かる橋のプレートは「天津神川」になっている
鉄道ネタとは少しはなれるが、JR片町線天神川トンネルがある天井川は、このトンネルから下流(北)約600m程の地点に架かる田辺橋(たなべはし)のプレートでは「天津神川」の名称になっている。
記事を書いていて「天神川」か「天津神川」か、どちらが正式名なのか解らなくなってしまったので、記事中ではこの河川名に「天井川」とボカシた呼び名を使用していたのはそのためで、疑問が残るトコロではあるが、まぁ歴史モノのサイトではないので、答えは出さないでおこう(汗)。
ちなみに、天神川トンネルより上流(南)300m程の場所で天井川をくぐっている府道22号八幡木津線との交差部分は隧道ではなく、コンクリート製の水路橋になっている点を申し添えておく。
天井川をくぐる掘削隧道は、ココを除いて国内に前回2本と、現役ではあと4本を確認している。その「あと4本」(流路変更後の遺構を含めればまだ増える)がドコなのか? 折りを見てぼちぼち記事にしていくので、楽しみにしてていただけたら幸いだ。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。