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[場所]JR左沢線 羽前長崎-南寒河江
最上川は山形県のみを流れる流路延長229km一級河川だが、この川には明治時代に製造された橋桁を移設使用している現役の鉄道橋梁が何と2本ある。そのうちの1本は山形鉄道フラワー長井線 四季の郷-荒砥 間に架かる最上川橋梁(荒砥鉄橋)で、本サイト2015年9月30日アップ「東海道本線揖斐川橋梁に並行して架かる謎の橋」の中で少し触れている。
さて、この回で紹介するのはもう1本の方、JR左沢線 羽前長崎-南寒河江 間に架かる最上川橋梁だ。
JR左沢線の最上川橋梁は1921年(大正10年)12月11日に同線が鉄道省左沢軽便線として羽前長崎-寒河江 間が路線延長された時に供用を開始した鉄橋で、この場所に架設されたのは大正時代になるが、このうち南寒河江側に架かっている橋桁5連は1886年(明治19年)に製造され、元々東海道本線木曽川橋梁に1887年(明治20年)から1914年(大正3年)まで使用されていた橋桁を改造移設した桁で、現役鉄道橋梁としては上記山形鉄道の最上川橋梁の橋桁とともに日本最古の橋桁になる。
上写真では樹木の関係から最上川橋梁全体が写っていないため、左の羽前長崎方のトラス桁3連の北東側からのアップを載せておこう。
羽前長崎側の桁3連は錬鉄製単線下路プラットトラスでスパンは各100ft。元々は1905年(明治38年)に福岡県の遠賀川に架設した九州鉄道 筑豊本線遠賀川橋梁の桁で、それから3桁を移設され現在に至っている。
せっかくなので、木曽川橋梁から移設された橋桁5連の各アップも羽前長崎方北東側から載せてしまおう。
木曽川橋梁から移設された橋桁5連は錬鉄製単線ダブルワーレン下路ピントラスのスパンは各156ft。ただし各桁の長さは、木曽川橋梁時には200ftだったのを、移設時に156ftに短縮して架設されている。
設計は英国人のC.ポナールで、製造は英国のパテント・シャフト&アクスルトゥリー社。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の技術と資材を輸入して製造された。そして、こちらの桁が現役鉄道橋梁としては日本最古の橋桁だ。
次は、南寒河江側の河原に降りて、橋梁を下から眺めていこう。
そんな歴史ある貴重な構造物であるため、2008年に近代土木遺産として「土木学会推奨土木遺産」に推奨、2009年に経済産業省から「近代化産業遺産」に選定されている。
それでは、南寒河江方の北西側からの橋梁の眺めを載せて締めとしよう。
東海道本線木曽川橋梁のC.ポナール設計のパテント・シャフト&アクスルトゥリー社製ダブルワーレン下路ピントラス桁が竣工からわずか27年間で架け替えられた理由は、通過する蒸気機関車の大型化に伴う強度不足が背景といわれている。
個人的考えになるが、架け替えられたのは車輛の大きさも関係しているとも思ったが、上写真を眺めた限りは橋門構の高さは支障していないようだ。
疑問からの憶測だが、まぁ鉄道施設・設備を巡る旅には、そんな思いを馳せる楽しみもあるので書いてみた。
山形鉄道フラワー長井線の最上川橋梁もいずれ紹介する予定
左沢線の最上川橋梁とフラワー長井線の最上川橋梁は地元では「双子橋」とも呼ばれているので、もう一つのフラワー長井線の方も、いずれ紹介したいと思っている。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。