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[場所]近畿日本鉄道橿原線 八木西口駅など
近鉄タイプの吊架剛体コンパウンドカテナリ架線とコンパウンドカテナリ架線との切替部分ネタは2020年3月5日アップにて「新青山トンネルなど」で、その補足で2020年4月14日アップにて「新玉手山トンネルなど」を取り上げているが「近鉄タイプ剛体架線⇔カテナリ架線切替部分」をシンプルカテナリにまで範囲を広げれば、間近に見れる駅はまだまだあることを新玉手山トンネルなどの記事の締めで上本町の「鉄道バー駅」のマスターの言葉としてニオワセておいたが、それをさらなる補足記事として紹介しよう。
場所は、タイトル回りで一目瞭然だが、ではまず橿原線 八木西口駅間近の切替部分から眺めていこう。
JR桜井線のガード(鉄道跨線橋)の高さの関係でこの部分に吊架剛体シンプルカテナリ架線が採用されたのは解ったが、ではナゼ高さ不足なのかの疑問は残る。
ナゼなら、近鉄橿原線は大阪電気軌道により1923年(大正12年)3月21日の開通なのに対し、JR桜井線(万葉まほろば線)は大阪鉄道により1893年(明治26年)5月23日の開通と、JR桜井線の方が先に開通しているのに、不思議にもこちらがオーバークロスしているという点。おそらくJR桜井線は付近の飛鳥川を渡るためにこの辺りは築堤で敷設されていたトコロに、近鉄橿原線が地平のレベルで延びてきたら、JR桜井線の築堤の高さが微妙で、オーバークロスするには高く、アンダークロスするには低かったが、結局アンダークロスを選んだってことだろうか。
近鉄奈良線にも剛体架線⇔カテナリ架線切替部分を遠望ならできる駅がある
近鉄奈良線の新生駒トンネルで吊架剛体シンプルカテナリ架線が採用されているのは有名な話だが、このトンネルのシンプルカテナリ架線との切替部分がある坑門は、両側とも最寄りの「石切」「生駒」の両駅から遠望することができる。
ところで、前回2020年4月14日アップ「新玉手山トンネル」と同じ送電線ネタになるが、上の写真を見て、特別高圧送電線が石切側にはないのに、生駒側では架線柱上に忽然と現れているので、それなら新生駒トンネル区間では特別高圧送電線がドコを通っているか、気になった人が居るのではないだろうか。
実はこの件は、現地でじっくり眺めてこなかった(恥)。
ただ、この記事を書くにあたり調べていて解ったことがある。それは、近鉄電気エンジニアリング株式会社のFBによってだが、生駒山越送電線は2016年11月1日に撤去することになったということ。
そこからすでに3年以上経っているので、当然もう生駒山越送電線の電線と鉄塔の一部は撤去されている。
近鉄奈良線系統の他の吊架剛体シンプルカテナリ架線も紹介しておこう
2020年3月5日アップ「新青山トンネルなど」の記事の中で、文字だけの紹介で写真を掲載してなかった難波線と、さらに奈良駅の吊架剛体カテナリ架線もせっかくの機会なので、写真をお見せしておきたい。
八木西口のガードの高さ制限の理由を推定で書いたり、新生駒トンネルでは特別高圧送電線の設置部分を徹底的に探索しなかったり、はたまた各電線の用途を記さなかったりと、記事内容にツッコミがイマイチ足りないようだが、交通や電気専門の業界紙サイトではないので、そこら辺はお許し願いたいのと、本サイトのテーマ「鉄道が主役の旅スタイル」の一つとして、現地で気になる物件があったら、過去などに思いを馳せながら眺めるのも楽しいよなっていう一例を挙げさせていただいた点を理解していただけたらありがたい。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。