加悦SL広場が2020年3月閉園検討?で緊急寄稿(中篇)

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[場所]京都丹後鉄道宮豊線 与謝野駅南南西約7.5km

前回2020年1月18日アップの「加悦SL広場」の記事の続きになる。
この加悦SL広場といえば、展示車輛数が多いのは既報の通りで、そのため記事は3部に分けての構成とさせていただいて、「前篇」では鉄道駅からバスでの行き方と、無料エリアの展示物を掲載したが、「中篇」では動力車をメインに話を進めていこう。
ただし動力車といっても、静態保存で動かない車輛が含まれている点は理解していただきたい。

明治7年の阪神間開業に際して英国から輸入したSLも収蔵

動力車の中で、まずは施設名の一部にもなっているSLを紹介していこう。ところで、ココのSLの中には、何と官設鉄道が大阪駅-神戸駅 間を仮開業した1874年(明治7年)に際し、英国から輸入したカマも収蔵されている。なので、SLは古い方から順にお見せしていくことにしよう。

加悦鉄道2号機関車。1873年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国(当時)のロバート・スチーブンソン社で製造されたSL。官設鉄道の大阪-神戸 間の建設時から使用され、翌年1874年(明治7年)よりその区間の旅客列車の牽引に使われた後、1915年(大正4年)に島根県の簸上鉄道(現・JR木次線)に払い下げられていた。
1926年(大正15年)に加悦鉄道が譲受。開業当初から主力機として活躍した。1956年(昭和31年)に休車になった。
ちなみに、官設鉄道 大阪-神戸 間開業に際しての天井川隧道の記事を2016年1月6日にアップしているので、ついでに見ていただけるとありがたい。

東洋レーヨン103号機関車。1915年(大正4年)に米国のポーター社で製造されたSL。山口県の長門鉄道で使用された後、1947年(昭和年22年)に東洋レーヨンが譲受、滋賀県の工場の入れ換えに従事していたが、1964年に宝塚ファミリーランドに寄贈。
2003年に宝塚ファミリーランドからカヤ興産(現・宮津海陸運輸)が譲受。加悦SL広場に展示された。
加悦鉄道4号機関車。1921年(大正10年)に川崎造船所兵庫工場で製造されたSL。長野県の河東鉄道(現・長野電鉄)の3号機として登場し、1934年(昭和9年)に加悦鉄道が譲受して4号機となった。
1968年に休車、翌年廃車となり 加悦駅 に留置後、加悦SL広場に展示された。
加悦鉄道1261号機関車。1923年(大正12年)に日本車輌製造で製造されたSL。島根県の簸上鉄道5号機として登場し、1934年(昭和9年)に同鉄道が国鉄に買収され木次線となったのに伴い国鉄1261号となり、1943年(昭和18年)には日本治金工業が譲受。戦後は岩滝工場の入れ換えや旅客列車の牽引に活躍した。1967年に休車。
なお、加悦鉄道からの車輌はかなりが2003年12月に「旧加悦鉄道車両群」として町指定文化財に認定されている。

国鉄C58 390号機関車。1946年(昭和21年)7月に汽車製造にて製造されたSL。北海道にて、1975年7月用途廃止、C58形では最後まで活躍したカマ。
国鉄C57 189号機関車。1946年(昭和21年)11月に三菱重工三原製作所にて製造されたSL。1971年11月廃車。1973年3月に展示用として旧国鉄より貸与を受ける。
模形火室投炭練習。機関助手見習いとなった者が実地見習いをするに先だち、機関車焚火の基本動作などを訓練した設備。
給水塔も保存されているので、いずれSLの復活走行も考えていたのだろうか? 右は可搬式軽油給油機。かなりレトロだが、DL・DCが走行するのに必需品。

内燃車輛は内燃機関車から内燃動車の順に紹介

内燃車輛に関しては、内燃機関車と内燃動車を分けた以外、特に順番にはコダワらず列挙させていただくことにした。あえていえばココの内燃機関車は全てディーゼルエンジン装備のため、区分名は DL で問題なかったが。

神奈川臨海鉄道DB202号機関車。1968年に日立製作所にて製造されたロッド式DL。日本治金工業川崎製造所で1984年まで使われていたが、1991年にカヤ興産(現・宮津海陸運輸)が加悦駅跡地時代の 加悦SL広場 の入れ換え用に譲受したカマ。
加悦鉄道DC351号機関車。1956年(昭和31年)に汽車製造にて製造されたロッド式DL。青森県八戸市の南部鉄道で使われていたカマで、1967年に日本治金工業が譲受し、加悦鉄道が借り入れて使用していた。
日本専売公社岡山KD-4号機関車。1956年(昭和31年)に加藤製作所にて製造されたチェーン駆動DL。日本通運が購入し、山陽本線万富駅のキリンビール岡山工場専用線で使用されていたが、1971年に岡山駅の日本専売公社専用線に転属、1976年に廃車となったカマで、1999年に加悦鐵道保存会が譲受して、2008年に動態復元された。
加悦鉄道DB201号機関車。1953年(昭和28年)に森製作所で製造されたロッド式DL。自社発注車で、1975年に休車になっていたが、1999年にカヤ興産の手により動態復元されたカマ。後ろの客車はハフ2で、筆者がココで写真をまともに撮っていないのがこの2両(ションボリ)。
この項での特筆すべきは、筆者的に大きく取り上げたかった「DB201」が入場していた点にあるだろう。加悦SL広場が3月以後も存続して、またいずれ撮影できる機会が訪れることを願いたい。
なお、加悦SL広場のDL群は、後で紹介するTMC100形モーターカーも含めて動態保存となっている。
内燃動車の区分名は、キハ101とキハユニ51が当初ガソリンカーとして竣工しているので、コレで良しとしよう。

加悦鉄道キハ083気動車。1962年に北海道の国鉄苗穂工場にてオハ62形客車オハ62130からの改造により製作したDC。同形は1963年までに14両が改造され、国鉄時代当初は「キハ40形」を名乗っていたが、1966年に「キハ08形」に改番したその生き残り。同車は1971年に加悦鉄道が譲受して1974年から使用、同鉄道廃線まで活躍した。前篇では反対面の写真を掲載したが、有料エリアからはこのように観れる。
加悦鉄道キハ101気動車。1936年(昭和11年)に日本車輌製造にて製造された内燃動車で加悦鉄道生え抜き。当初はガソリンカーとして竣工したが、1968年にディーゼルエンジンに換装。変速機は機械式を装備している。外観的には、車軸配置が片方はボギー台車、片方は1軸なのが特徴。
加悦鉄道キハ51→キハユニ51気動車。1936年(昭和11年)に日本車輌製造で製造した、芸備鉄道(現・JR芸備線)40800形キハユニ18ガソリンカー。1937年の第2次国有鉄道買収により国鉄キハユニ40920形キハユニ40921になり、1952年に山口県の船木鉄道へ払い下げられディーゼルエンジンに換装されキハニ50形キハニ51となったが、1961年の船木鉄道廃止に伴い1962年に加悦鉄道が譲受。キハ51となり同鉄道廃止まで在籍した。
1993年の大修理により、郵便荷物室を製造当初の状態に復元し、車号を「キハユニ51」とした。
キハユニ51となった時に復元された仕切り壁。手前が客室で奥が郵便荷物室。
客室側先頭の運転台。

保線機械もココの項で紹介してしまおう

排雪モーターカーも動力付車なので、こちらの中篇に入れてしまったが、そんな保線機械の項を作った流れで、行き場が難しい手漕ぎトロッコも仲間にしてしまった。

加悦鉄道TMC100BS排雪モーターカー。1961年に富士重工業で製造され、国鉄福知山機関区に配属されていた同車を、1978年に加悦鉄道が譲受。加悦鉄道廃線まで保線作業・除雪作業に活躍した。
後ろにはトロ台車を従えている。
軌道自転車もいる。体験乗車できたら楽しそうだ。
アメコミのゴールドラッシュシーンにでも出てきそうな手漕ぎトロッコもいる。左は南海1201形用汽車製造製K-16イコライザー式台車。

開館時間 10:00~17:00
火曜・水曜・木曜は定休(祝日の場合は開館)※年末年始は別途
入場料 中学生以上 400円
    小学生 200円
    小学校入学前の小児は無料

当サイトは以前から原則として有料入場施設(旅客営業規則による乗車券類を除く)は紹介しない方針だったが、この度は緊急事態のため、有料施設ではあるが取り上げさせていただいた。これからの当サイトにおける有料施設の紹介への指針にできたら幸いに思う。

次回「後篇」では客車・貨車を紹介していく。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

筆者追記:加悦SL広場は2020年2月17日に宮津海陸運輸株式会社より「2020年3月31日をもちまして閉園することを決定いたしました。」の発表がありました。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。