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[場所]東京メトロ南北線 王子神谷駅北北東約300mなど
地下鉄車輛の搬入口といえば都営地下鉄新宿線や大江戸線の車輛搬入竪坑が有名だが、東京に絞ってもまだある。それが東京メトロ南北線の車輛搬入口になる。
現・東京メトロ南北線というと、いまでこそ 市ヶ谷-四谷 間で有楽町線と連絡線でつながっているので車輛搬入口など必要ないように思えてしまうが、最初に第1期開業したのは1991年11月29日に元・帝都高速度交通営団時代の 駒込-赤羽岩淵 間で、この区間は全部地下になっており、他の帝都高速度交通営団(当時)路線との接続もなかった。ところが、営団(当時)9000系1次車はしっかりと全地下線部分を運行していた。
東京メトロに詳しい方ならいまさらネタだが、その当初の開業区間で使用された営団9000系1次車はどこから搬入されたのか? 気になった方がいるのではないだろうか。ヒントは区間内の王子神谷駅から北北東に300mほどの所に「地下鉄王子ビル」が建っている点にある。
ここまで書くと、もうお解りだろう。現在、地下鉄王子ビルがある近辺には王子検車区があるのはご存知と思う。この検車区は車輛基地としては全地下で、そこに資機材を搬入する搬入庫が地下鉄王子ビルに隣接する形で建っているが、その搬入庫のシャッターがかつて車輛搬入に使用されていた出入り口で、その中にある搬入竪坑から搬入されていた。
第1期開業から約4年半後の1996年3月26日に第2期先行区間の四谷-駒込 間が開業したが、これにより東京メトロ有楽町線との連絡線も設けられたので、王子検車区の車輛搬入庫からの電車の搬入も行れなくなった。
ところで、第1期開業時に車輛搬入庫から搬入された営団9000系1次車がドコから運ばれて来たのか、気になった方もいるのではないだろうか。それは東京メトロ千代田線の綾瀬工場からで、そこから陸送で運ばれてきた。と、そんな輸送ルートの特に表通り国道122号からのコースに思いを馳るのも面白そうだ。
ちなみに、帝都高速度交通営団(当時)が電車を竪坑から搬入したのは南北線第1期開業が初めてではない。東西線が竹橋-九段下 間の内濠部分に竪坑を開け、1964年10月26日から1ヶ月半掛けて、そこから営団5000系を搬入している。なぜなら東西線の最初の開通区間は高田馬場-九段下 間だが、この区間は全線地下のうえ、他線に通じる部分もなかったため、後の1966年3月に開通予定の竹橋-九段下 間のオープンカット部分から電車をクレーンで吊り降ろして搬入した。その様子はメトロアーカイブ https://metroarchive.jp/content/touzai.html/ に出ている。
なお、当サイトでは都営地下鉄新宿線や大江戸線の車輛搬入竪坑を2017年12月21日アップで紹介しており、また大阪メトロの鉄輪式リニアモータカーグループの車輛搬入斜坑を2019年6月15日アップで紹介している。全国には地下車庫への車輛搬入口がまだあるので、この後も機会を持ったら紹介していこうと考えている。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。