富士山から初冠雪の便りが届くと行きたくなる場所

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR東海道本線 由比-興津 由比駅南南西約3km

富士山から「初冠雪の便り」が2019年は10月22日に届いたが、この言葉を聞くと、頂上に白雪を冠した富士山を仰ぎ見に行きたくなるのは筆者だけではないと思う。
さて、富士山を眺められる景観スポットは数々あるが、鉄道と絡めて見られる場所となるとやはり限られてこよう。
そんな中、筆者お気に入りの場所はJR東海道本線 由比-興津 間にある高台「薩埵峠」になる。ということで、ここではどのように富士山と鉄道が眺められるのか、この時期に紹介させていただくことにした。

薩埵峠からの北北東方の眺め。昨年の初冬の撮影のため、富士山頂付近の積雪量はイマイチ。電車は313系使用の下り普通列車。
薩埵峠展望台に掲げられている説明板。どちらかというと、砂防工事の解説といえなくもない。
上の写真および説明板を見たら、「この景色知ってる。」という方も多いと思う。
この景観が眺められる場所は、静岡県の薩埵峠で、東海道本線でいえば 由比-興津 間になり、由比駅からだと南南西約3kmの位置にある。
では、この地点から日中に、上写真の313系以外にどんな電車が眺められるのか。お見せしておこう。

上り線を走りゆく373系使用のワイドビューふじがわ7号。
下り線を走りくる211系使用の普通列車。なお、この日は休日のため、2時間近く居たが貨物列車にはお目に掛れなかった。
薩埵峠は、いまでこそ富士山が望める景勝地として、展望台的な場所になっているが、江戸時代までは東海道五十三次の難所であり、さらにそれ以前の南北朝時代には足利尊氏vs足利直義の兄弟が戦った時に、尊氏が本陣を張った場所でもあり、室町時代後期(戦国時代)には武田信玄vs今川氏真&北条氏政の軍勢が合戦をした場所として、日本史の表舞台に度々登場している。

薩埵峠駐車場から展望台へと続く道の脇には、農業用モノレールが路側タイプ併用軌道風に敷設されている。なお、この道は旧東海道でもある。

由比駅の薩埵峠方は宿場町の面影が残る場所

由比宿は東海道五十三次16番目の宿場町で、その本陣跡など中心地は由比駅の東京(北東)方にあるが、薩埵峠(南西)方のほうが、どちらかというと宿場町の面影が色濃く残っている。鉄道とは直接関係がないが、せっかくなので、ここで取り上げておこう。

由比駅から薩埵峠へ向かって2.5kmほどの地点にある案内地図。
上の案内地図から、由比駅の薩埵峠方にある宿場の建物群が2グループあるのが解るだろう。ではまず右側の由比駅から近い方の建物群から1ヶ所をピックアップしよう。
由比駅から南南西700mほどの場所にある「東海道 名主の館 小池邸」は開館時間9時半~16時半。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)。
「東海道 名主の館 小池邸」の説明板。登録有形文化財であることを伝えている。
なお「東海道 名主の館 小池邸」の向いには、「あかりの博物館」という江戸・明治・大正の照明類を展示している博物館(開館時間・10時~15時/入館料・大人500円/月曜定休・除祝日)がある。
続いて、左側の建物群から2ヶ所を紹介だ。

由比駅から南南西1.7kmほどの場所に建つ「間の宿 本陣跡」。
「間の宿 本陣跡」の説明板。こちらの建物群は「西倉沢」といい、間の宿(あいのしゅく)として、どちらかといえば休み茶屋街なのを教えている。
上の本陣跡から30mほど先(薩埵峠寄り)の地点に建つ「脇本陣 柏屋」。
「脇本陣 柏屋」の説明板。明治天皇ご東幸のみぎりに、ここで休憩したことを伝えている。
東海道五十三次に興味がある方は、2017年10月31日アップ「旧・東海道の宿場町の面影が残る町並みとC50」で 三重県の関宿 を取り上げているので、合わせて読んでいただけるとありがたい。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。入館料などは、消費税増税前の価格になります。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。