地下鉄車輛はどこから入れる!? 大阪メトロ篇

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[場所]大阪メトロ長堀鶴見緑地線 横堤駅西約600mもしくは鶴見緑地駅南約700m

大阪市高速電気軌道(以後「大阪メトロ」と表記)の電化駆動方式は2本のレールの上を走る地下鉄だけでも3種類あるのはご存知と思う。
このうち、第三軌条粘着方式グループは地平にも検車場があるし、架線集電粘着方式の堺筋線は乗り入れ先の阪急京都線内の地平に検車場があるので、車輛搬入がどこからなされるのかは一目瞭然だろう。ところで、架線集電リニア方式グループの長堀鶴見緑地線と今里筋線は検車場が地平にないのはおろか、線路が地上にでる所もない。
では、架線集電リニア方式の車輛はどこから搬入するのか。気になっている人がいるのではないだろうか。

長堀鶴見緑地線の70系電車。鉄輪式リニアモータカーで、集電方式は架線集電。1991年のローレル賞を受賞している。横堤駅にて撮影。
その昔「地下鉄の電車はどっから入れたか?」という春日三球照代の地下鉄漫才があったが、1978年12月21日に部分開業した都営地下鉄新宿線で使用する電車を、大島車両検修場へ搬入竪坑から搬入するシーンをTV中継されてしまった以後、ネタバレしてシラケてしまった。その車輛搬入竪坑は当サイト2017年12月21日アップの「地下鉄車輛はどこから入れる!?」(←その記事はココをクリック)で紹介しているが、地下鉄車輛の搬入口は、実は全国にはこの他にもある。その一つが大阪メトロ架線集電リニア方式グループの車輛搬入口になる。
そんなわけで、この搬入口を紹介しよう。

今里筋線の80系電車。上写真の70系電車と同じく鉄輪式リニアモータカーで、集電方式も同じく架線集電。緑橋駅にて撮影。
長堀鶴見緑地線の検車場は鶴見緑地駅の南側200mほどの所にあるテニスコートの下に鶴見検車場が。今里筋線の車庫は清水駅南東1kmほどの鶴見緑地の下に鶴見緑地北車庫がある。
この検車場と車庫は地下線路でつながっているのは有名な話だが、そうするとこの両線の施設が集まっているところに車輛搬入口があることは、容易に想像することができるだろう。
ということで、検車場の近辺を探索してみた。そして見つけたのが下の写真の坂道だ。

鶴見緑地の駐車場の一角にある車輛搬入口で、奥が北。坂道の先に開口部が見えるが、そこが検車場への坑門であろうことが推測できる。位置的には長堀鶴見緑地線横堤駅からが近い。ゲートの柵の隙間にレンズを突っ込んで撮影。
場所は大阪メトロ長堀鶴見緑地線 横堤駅東約600mの地点で、鶴見緑地駐車場の一角の府道8号に面してある。
そして上の写真でも解る通り、ここの車輛搬入口は坂道により搬入する構造になっており、以前に紹介した都営地下鉄が竪坑なら、こちらは斜坑とでもいえようか。

搬入口が面している府道8号を渡った対面から北向きに眺めたところ。間口は16m車が曲がるのに十分な幅だろう。左方が西でここから600mほどの地点に横堤駅がある。
上々写真中央の坑門の上の駐車場部分から南向きに眺めたところ。柵に厳重に囲まれている。
上写真の坂道の突端坑門部上からの坂道の眺め。柵の隙間にレンズを突っ込んで撮影。
上々写真の柵の右側脇からの北向きの眺め。右端の柵が坂道のオープンカット部突端の坑門上で、奥左に広がる木樹の丘の下が鶴見検車場になっている。ちなみに、丘の上は庭球場になっている。
搬入口の北(奥)側は、木樹が生えたこんもりとした丘になっていて、この下が検車場であることは一目で想像できる。
それならば、実際にそうなのか、周囲を探訪してみよう。まずは、西(上写真左)側から。

上写真の位置から、庭球場の西側を北へ200mほどいった場所に人口地盤が途切れた所があり、検車場の線路を見ることができる。写真は東向きの眺め。

なお、タイトル写真は上々写真と上写真の中間の庭球場西淵から垣間見える鉄道保守用車輛で、この部分の線路は架線が張られていない。

上写真の庭球場を挟んだ反対(東)側からの西向きの眺め。こちら側の線路には架線が張られ、建物内部分の線路にはリアクションプレートが敷設されているのが解る。

余談になるが、冒頭で記したグループのうち、第三軌条粘着方式グループはかつては御堂筋線・四つ橋線チームと、谷町線・中央線・千日前線チームは線路がつながっていない別チームだったが、2015年1月に本町駅付近に中央線⇔四つ橋線をつなぐ回送線ができたため、両チーム間の回送が容易になった。

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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。