鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR高崎線 深谷駅
駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです
当サイト2019年5月17日アップの「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(8) 東京駅」(←その記事はココをクリック)の中で 東京駅丸の内側の 赤レンガ駅舎 を紹介しているが、それを模した駅舎がJR高崎線 深谷駅に、線路を跨ぐように跨線橋の上に建てられている。と、これは案外世間に知れ渡っていることだが、ではナゼ埼玉県の深谷駅駅舎が東京駅丸の内側の 赤レンガ駅舎 に似せて造られているのだろうか。
それは、1914年(大正3年)に竣工した東京駅丸の内口駅舎を建設するために、埼玉県の大寄村(元・上敷免村、現・深谷市)にある日本煉瓦製造株式会社で生産された煉瓦が、同工場の専用鉄道の線路がつながっていた国有鉄道(当時)深谷駅を介して東京まで鉄道輸送されて、躯体に使用された史実に因んだ、東京駅との縁に依っているからだ。
深谷駅の駅舎は、上記の東京駅との縁から、1996年に橋上駅舎に改築される際に、東京駅丸の内口側の 赤レンガ駅舎 をモチーフに建てられた。
プロポーションや細部の違いはあるが、これ程のスタイルの建物を造る実行力と、それを橋上に線路と直角方向に建ててしまう発想力には畏れ入る。
ちなみに外壁自体は煉瓦構造ではなく、コンクリートの壁面に煉瓦風のタイルを貼ることによって煉瓦積みに見せている。これは、耐震性を考えた上でのことと思われる。
なお、深谷駅は1999年に 関東の駅百選 にも選ばれていることもあり、この駅舎に関しての話しは、各サイトにてそれなりに出ているのと、紙幅の関係もあり、写真は上の6枚に留め、駅近の見どころに話題を移させていただきたい。
煉瓦工場専用鉄道跡に見どころが点在
深谷駅から日本煉瓦製造の工場専用鉄道の線路が出ていたことは上述したが、距離は約4kmあって、1895年(明治28年)7月に敷設され、1975年3月31日付で廃止された。その後に、廃線跡は遊歩道&サイクリングロード(以後 遊歩道 に略)として整備され、現在は市民など一般に開放されて散策の場になっている。
北口駅前広場には、当地出身の偉人名を戴く「近代日本経済の父 渋沢栄一のふるさとを訪ねて」という案内板があり、その中で「文化財にふれながら歩くコース」16kmのコースの一部として煉瓦工場専用鉄道跡遊歩道も含められて紹介されているので、この点からも深谷市役所が“煉瓦のまち深谷”として世間にアピールしているその一端 が窺える。
なお、日本煉瓦製造の工場跡地のうち旧事務所は日本煉瓦資料館となって公開されており、工場専用線の資料も少し展示している。
なので鉄道が主役の旅スタイル を楽しんでいる方だったら散策は 深谷駅-日本煉瓦資料館 の往復で十分だし、遊歩道の旧・中山道交差地点より深谷駅寄りなら、沿道100m以内ほどの範囲にスーパーマーケット・ドラッグストア、ラーメン店、ファミレス、百均があり、トイレもそれなりの間隔に設置されているのが確認できているので、この区間だけなら、ちょっと長い散歩程度の心持ちorピクニック気分でウォーキングすることができるだろう。
では、深谷駅側から工場専用鉄道跡遊歩道を歩いていくことにしよう。
この遊歩道は、要所要所に見どころを解説した立て札が設けられていて、説明文を読めばその文化財が何なのかが解るし、地図も添付(ここで紹介している区間以外のコース部分は未確認)されているから、予備知識がなくても道に迷わずに 日本煉瓦資料館 まで辿り着けるので、歩いていて不安になることがないのも助かる。
ところで、最近のレールスパイクはアメリカ型に端を発する甲羅型 なのに「亀釘」とは呼ばれず、「犬釘」という言葉が継続使用されているのは何か不思議だが、犬釘の語感が相当良かったか、すでに浸透してしまっていた呼称を変えるのもいま更というのがあったのか、現在に至っては知る由もない。
福川鉄橋から1kmほど工場寄りに歩いてゆくと備前渠(びぜんきょ)鉄橋がある。
備前渠鉄橋を渡ると、あと400mほど歩けば日本煉瓦資料館に辿り着く。入館料は無料だが、入館可能日時が土曜・日曜 (年末年始をのぞく) の9時~16時(入館締め切り15時30分)と短く、見学できるのはかなりレアなタイミングになる。
この記事では紙幅の都合から、国の重要文化財であり受付がある 旧事務所 とその中の鉄道絡みの注目展示品の紹介に留めるが、他には旧変電室 が国の重要文化財に1997年5月29日に指定されており、実際には見どころはもっとたくさんあることを申し添えておく。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。