駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(9) 埼玉県・深谷駅&元祖・ドッグスパイクだワン!!

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR高崎線 深谷駅

駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです

当サイト2019年5月17日アップの「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(8) 東京駅」(←その記事はココをクリック)の中で 東京駅丸の内側の 赤レンガ駅舎 を紹介しているが、それを模した駅舎がJR高崎線 深谷駅に、線路を跨ぐように跨線橋の上に建てられている。と、これは案外世間に知れ渡っていることだが、ではナゼ埼玉県の深谷駅駅舎が東京駅丸の内側の 赤レンガ駅舎 に似せて造られているのだろうか。

深谷駅駅舎の西側(高崎寄り)を1番線上りプラットホームから眺めたところ。右の下り線プラットホーム上にせり出したレンガ部分は中がエスカレータ&階段室になっている。電車はE231系使用の下り普通。
それは、1914年(大正3年)に竣工した東京駅丸の内口駅舎を建設するために、埼玉県の大寄村(元・上敷免村、現・深谷市)にある日本煉瓦製造株式会社で生産された煉瓦が、同工場の専用鉄道の線路がつながっていた国有鉄道(当時)深谷駅を介して東京まで鉄道輸送されて、躯体に使用された史実に因んだ、東京駅との縁に依っているからだ。

駅舎の東側(大宮寄り)を南口方から眺めたところ。駅舎本体はもちろん跨線橋や階段の欄干・手すりも凝った造りになっている。
東京駅の 赤レンガ駅舎 のシンボルといえばドーム屋根だが、深谷駅駅舎のドーム屋根は丸部分をフルに眺められる場所が少ない。写真は南口の西側寄りからの北東方の眺めで、ここからなら見られる。ちなみに、駅舎建物の西側(高崎寄り)をフルに眺められる場所は、2・3番線プラットホームにせり出したエスカレータ&階段室のために駅近にはなく、西北西側(高崎方)300mほどの場所にある県道62号の踏切までいかねば全体を見れない。
深谷駅の駅舎は、上記の東京駅との縁から、1996年に橋上駅舎に改築される際に、東京駅丸の内口側の 赤レンガ駅舎 をモチーフに建てられた。
プロポーションや細部の違いはあるが、これ程のスタイルの建物を造る実行力と、それを橋上に線路と直角方向に建ててしまう発想力には畏れ入る。
ちなみに外壁自体は煉瓦構造ではなく、コンクリートの壁面に煉瓦風のタイルを貼ることによって煉瓦積みに見せている。これは、耐震性を考えた上でのことと思われる。

駅舎の東側の跨線橋に一番近い架線柱のビームは、東京駅にかつて存在したレトロ架線柱を模したデザインになっていて、これをラッチ外の跨線橋(ペデストリアンデッキ)上から東方(大宮寄り)に眺めたところ。写真の電車は1番線を発車してゆくE231系使用の上り普通で、その後追い撮影。
1番線プラットホーム上にある設備棟の外壁をも煉瓦風タイルで装飾してランプ小屋のような外観にしてしまった雰囲気作りへの徹底ぶりがサスガ。
跨線橋から北口へ降りる階段には深谷市のイメージキャラクター ふっかちゃん がE231系に乗ってやってくるイラストが貼られている。鉄道にまつわるオブジェ として何げに注目点かも知れない。
なお、深谷駅は1999年に 関東の駅百選 にも選ばれていることもあり、この駅舎に関しての話しは、各サイトにてそれなりに出ているのと、紙幅の関係もあり、写真は上の6枚に留め、駅近の見どころに話題を移させていただきたい。

煉瓦工場専用鉄道跡に見どころが点在

深谷駅から日本煉瓦製造の工場専用鉄道の線路が出ていたことは上述したが、距離は約4kmあって、1895年(明治28年)7月に敷設され、1975年3月31日付で廃止された。その後に、廃線跡は遊歩道&サイクリングロード(以後 遊歩道 に略)として整備され、現在は市民など一般に開放されて散策の場になっている。

北口駅前広場の東側に立っている「近代日本経済の父 渋沢栄一のふるさとを訪ねて」の案内板の地図部分のアップ。右端の赤ラインの「現在地」~「備前渠鉄橋」の上までが煉瓦工場専用鉄道跡を整備した遊歩道になる。
北口駅前広場には、当地出身の偉人名を戴く「近代日本経済の父 渋沢栄一のふるさとを訪ねて」という案内板があり、その中で「文化財にふれながら歩くコース」16kmのコースの一部として煉瓦工場専用鉄道跡遊歩道も含められて紹介されているので、この点からも深谷市役所が“煉瓦のまち深谷”として世間にアピールしているその一端 が窺える。
なお、日本煉瓦製造の工場跡地のうち旧事務所は日本煉瓦資料館となって公開されており、工場専用線の資料も少し展示している。
なので鉄道が主役の旅スタイル を楽しんでいる方だったら散策は 深谷駅-日本煉瓦資料館 の往復で十分だし、遊歩道の旧・中山道交差地点より深谷駅寄りなら、沿道100m以内ほどの範囲にスーパーマーケット・ドラッグストア、ラーメン店、ファミレス、百均があり、トイレもそれなりの間隔に設置されているのが確認できているので、この区間だけなら、ちょっと長い散歩程度の心持ちorピクニック気分でウォーキングすることができるだろう。
では、深谷駅側から工場専用鉄道跡遊歩道を歩いていくことにしよう。

北口から300mほど大宮側に、電車の(ような)イラストが描かれていた看板があったので 鉄道にまつわるオブジェ として載せてみた。なお、左の線路はJR高崎線で、右の煉瓦が並ぶ道が煉瓦工場専用鉄道跡の遊歩道。
上写真のそばにある立て札。遊歩道は「あかね通り」というらしい。
深谷駅を発って400mほどの地点にある唐沢川鉄橋を北側から眺めたところ。背後の線路はJR高崎線で左が大宮方、右が高崎方。プレートガーダー桁は現役当時の流用で、それの腹板の垂直補剛材スティフナーが上下端を曲げてあるポナール形なのは英国設計の特徴でもある。
上写真の唐沢川鉄橋の近くにある立て札。中央の写真は左に高崎線の線路が見えるので、鉄橋の東(工場)側からの西(深谷駅)向きの眺めになる。
唐沢川鉄橋から遊歩道を600mほど進んだ旧々・中山道との交差部分付近にある立て札。線路遺構は特に残っていなかったので、ここはこの写真のみでお許しを…。
この遊歩道は、要所要所に見どころを解説した立て札が設けられていて、説明文を読めばその文化財が何なのかが解るし、地図も添付(ここで紹介している区間以外のコース部分は未確認)されているから、予備知識がなくても道に迷わずに 日本煉瓦資料館 まで辿り着けるので、歩いていて不安になることがないのも助かる。

深谷駅から2.5km地点にある福川鉄橋を復原保存した橋のプレートガーダー桁寄りを南南西(深谷駅)側から見たところ。やはりポーナル形の桁を使用している。当然だが位置は移動しているようで、左の木立が並んでいるところが遊歩道で線路跡になる。
福川鉄橋の復原橋の避溢橋(ひいつきょう)ボックスガーダー桁寄りを北北東(工場)側から見たところ。始めは木桁だったが、順次鉄桁に換えていったとのことで、それぞれの微妙な違いが見どころとのこと。橋の向こう側が遊歩道。
この復原橋の枕木にレールを固定している犬釘は、犬の頭の形をしたヨーロッパ型の文字通りの「元祖」ドッグスパイクを惜しみなく使っている。ただし間近で見られる犬釘はないのが残念。ちなみにタイトルとこの写真は300mmレンズで引きつけて撮っているんだワン!!
福川鉄橋の説明板の文章部分のアップ。板にはこの上部に側面図も描かれているが、ここでは割愛させていただいた。
福川鉄橋を解説した立て札も近くにある。
ところで、最近のレールスパイクはアメリカ型に端を発する甲羅型 なのに「亀釘」とは呼ばれず、「犬釘」という言葉が継続使用されているのは何か不思議だが、犬釘の語感が相当良かったか、すでに浸透してしまっていた呼称を変えるのもいま更というのがあったのか、現在に至っては知る由もない。
福川鉄橋から1kmほど工場寄りに歩いてゆくと備前渠(びぜんきょ)鉄橋がある。

上地点から遊歩道を1kmほどの距離に備前渠鉄橋があるが、その5mほど手前の路面下にはこのレンガアーチ橋が潜んでいる。こちら面は西側で、右が深谷駅方、左が煉瓦工場方。レンガアーチ橋の東側面は下写真の立て札のパネル右下写真がそれ。なお、右上に写っている看板は写真3枚下の説明板の裏側。
備前渠鉄橋の近くにある立て札。
備前渠鉄橋のプレートガーダー桁を西北西側から眺めたところ。左が工場方で、右が深谷駅方になる。やはりポーナル形の桁だ。
備前渠鉄橋の深谷駅側袂に立っている説明板で、この鉄橋が国の重要文化財であることを説き伝えている。レンガアーチ橋はこの右(工場方)すぐ下にある。
備前渠鉄橋を渡ると、あと400mほど歩けば日本煉瓦資料館に辿り着く。入館料は無料だが、入館可能日時が土曜・日曜 (年末年始をのぞく) の9時~16時(入館締め切り15時30分)と短く、見学できるのはかなりレアなタイミングになる。
この記事では紙幅の都合から、国の重要文化財であり受付がある 旧事務所 とその中の鉄道絡みの注目展示品の紹介に留めるが、他には旧変電室 が国の重要文化財に1997年5月29日に指定されており、実際には見どころはもっとたくさんあることを申し添えておく。
備前渠鉄橋を渡って、工場跡地の外周を西に迂回する道を歩いて程なくしたところにある立て札。ここまでくれば、日本煉瓦資料館はもうすぐだ。ちなみに、この辺からの旧・線路は工場の中に入ってしまい、遊歩道は専用鉄道跡ではなくなる。
日本煉瓦資料館の 旧事務所 の入口。開館日時は本文中に記したが、問合せ先はここではなく 深谷市教育委員会文化振興課 048-577-4501 になる。「10名以上で見学の際はご連絡ください。」とのこと。なお、「ホフマン輪窯6号窯は保存修理工事のため2019年2月から公開休止」になっている。
旧事務所 内に展示されている工場最盛期を再現したジオラマ模型。右が備前渠鉄橋で、そこから左上方に線路が工場内へ引き込まれているのが判る。ちなみに、左が北で、その左の河川は利根川水系の支流小山川。
10枚上の写真などの福川鉄橋の場所では元祖犬釘を間近に見られなかったが、ここではリアルに見れるんだワン!!
上の元祖犬釘と同じく館内には工場専用鉄道で使用されていたレール類が展示してある。下のレールは浮出文字(ロールマーク)部分のカットで、左の「SJC」は S が Societe de、JC がベルギーのジョーン・コッケリル社を指しており、右の「1894」は製造年、「92」は断面コードナンバーと推定される。「KTK」は発注者名で、甲武鉄道を指しているらしいが、鉄道ピクトリアル1981年1月号西野保行さん・淵上龍雄さん共著の「レールの趣味的研究」から引用すると「他鉄道からの流用ということになれば、渋沢栄一の影響力からして、関東の甲武あたりということになるが、甲武が使ったのは60-1、60-2、60-4で、このレールは断面を採ってみると45~50ポンド程度であるから該当しない。ここは思い切って、1894~1895年にかけて開通した川越鉄道を考えてみたらどうだろうか。」などの説もあり、いまだ素性は確定していない。
やはり館内に展示されている 東京駅向けレンガの代金の請求書。現・深谷市にあった日本煉瓦製造より納入されたレンガが東京駅の駅舎に資材として使用された証しになっている。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。