東海道・熱海線の列車を現在も見守り続けるハエタタキの残骸

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[場所]JR東海道本線 根府川-真鶴

「ハエタタキ」とは、ひと昔前の線路脇に立ち並んでいた電柱のことで、それに単芯ケーブルが幾本も渡されて駅などの鉄道施設間を結び、鉄道電話などの通信に利用されていた…と始まる文言で、2017年1月23日アップの「札沼線沿いに今なお残るハエタタキ」(←その記事はココをクリック)の中でも紹介しているのもあるし、当サイトの読者なら「ハエタタキ」が何を指し、その俗称の由来もご存知だろう。

これがハエタタキの残骸。上述の「札沼線…ハエタタキ」の記事中でも記しているが「ハエタタキ」の俗称は、電柱に腕木が多く取り付けられた上、さらにここに付いた碍子とも相まったこの形状が蝿叩きに似ているので付けられたとのこと。
さて、そんなハエタタキだが、残骸とはいえ幹線タイプの、腕木(横棒)が長くさらに本数も多い電柱が立っている場所がある。
それはJR東海道本線 根府川-真鶴 間で、東京側からだと、根府川駅を出発してトンネルを1つ抜けた先の車窓右手に立っている。

トピックのハエタタキの残骸は、東海道本線の下り電車に乗った場合、根府川駅を出発してトンネル1つ抜けた先の右(山)側に見えてくる。なお、ハエタタキのこちら面は東京(北)側で、上写真は熱海(南)側を付近の道から眺めたところ。
タイトルの「東海道・熱海線」の表記は正式名称ではなく、根府川-真鶴 間が開通した当初の1925年(大正14年)~丹那トンネルが開通する1934年(昭和9年)までは、国府津-熱海 間は東海道支線の「熱海線」と呼ばれていたので、便宜上この線名を合わせた表現を使わせていただいた。本来なら「東海道本線の列車を長年見守り続ける…」とした方が解りやすかったと思うのだが、歴史には逆らえない。
では、このハエタタキがどんな場所に立っているかを紹介していこう。

根府川駅から徒歩で行くならば、駅前の県道740号を真鶴方面へ、地図上の直線では南南西約1kmの地点にあるこの看板の脇道を海側に下っていくと着ける。
上写真の地点から下っていく細道の途中で、眼下にハエタタキが見えてくる。赤いクルマの右上がそのハエタタキ。
さらに細道を下っていくと、この場所に着く。位置的には「江ノ浦踏切」付近で、奥側が東京方。左上に見えるのがそのハエタタキになる。列車はEF66 117ELが牽引する貨物列車。
上写真の地点から反対を向いた眺め。踏切に「91K688M」と、東京駅からの距離が書かれているのが嬉しい。電車はE233系使用の下り普通。
江ノ浦踏切を渡った海側からの北西向きの眺め。左上にハエタタキが見える。電車はE231系使用の上り普通。
グーグルマップでいう「江ノ浦俯瞰」地点から1982年12月に撮った写真が出てきたので、せっかくなので載せておこう。カメラの向きとしては北向きの眺めで、写真中央やや左にハエタタキが2本あるのが解る。うち手前が、本記事で紹介しているハエタタキで、奥のはこの記事を書くにあたりグーグルマップで探したが、その限りにおいては見当たらなかった。電車は小田急LSE7000形の走行試験列車。
ひと昔前までは、ハエタタキは全国各地で見られたが、近年では残骸でもかなり貴重な存在なのではないだろうか。
こんな場所で1本ポツンと、今なお東海道本線を行き交う列車を見守っているハエタタキには、いつまでもこの地に立っていて欲しいと願っている。
また、もし仮に撤去されるようなことにでもなった場合には、どこかの博物館なりで保存していただけたら良いのにとも思う。

根府川駅前~6枚上の写真の看板の場所までは県道740号を使ったが、この道は「豆相人車鉄道」の廃線跡とのことなので、昔日に想いを馳せながら歩くのも面白いかも知れない。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。