100年以上前に造られた現役のレンガアーチ跨線橋と復元関所

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[場所] JR中央本線 贄川-木曽平沢

JR中央西線 贄川-木曽平沢 間、というか贄川駅から南(名古屋寄り)に300mほどの地点にレンガアーチの跨線橋があり、レトロな佇まいの風景を作りだしている。この橋は中央本線の塩尻-奈良井 間が開通したと同時の1909年(明治42年)の竣工で、すでに100年以上使用されている。そんな歴史のある跨線橋なので、1989年(平成元年)に補修整備され、現在は「関所橋(メロディー橋)」とも呼ばれ、国道19号から文化施設である贄川関所への道しるべとしてランドマークになっている。

レンガアーチ橋「関所橋」をくぐり抜けてくる383系使用の上り特急「しなの」で、南南西方に並行して架けられた跨線道路橋上からの撮影。中央西線は名古屋行が上りなのはご存知と思う。ということで、北北東向きのアングルになる。橋壁面のレンガはイギリス積みなのが判る。
名古屋方からレンガアーチ橋「関所橋」へ向かって走りくるJR東日本の211系使用の下り普通で、北北東側からの撮影。アーチが馬蹄形なのが判る。架線の張り方も注目点。
上写真の線路対面から383系使用の上り特急「しなの」を後追い撮影。左が塩尻方で右が名古屋方になる。画面中央やや左の建物は「贄川関所・木曽考古館」。

関所橋は、上にも記したが1989年に整備がなされた。それは、名古屋寄りすぐの場所に並行して跨線道路橋が完成したため、こちらの旧橋は歩行者専用となったことにより欄干や路面が改修されたのだが、さらに路面上に案内板やオブジェを設置して、付近の文化拠点としても一新された。その活動の成果が讃えられ、国土交通省が開催する「手づくり郷土(ふるさと)賞 街灯のある街角三十選」に1990年に選ばれている。

関所橋の上路面はブロック敷きで、所々に案内板やオブジェが並ぶ。写真奥が塩尻方になる。画面やや右下に埋めこまれているのが「手づくり郷土賞」のプレート。
関所橋の上路面に掲げられている案内板。駅との位置関係が判るだろう。
欄干には 木曽節 のプレートも掲示されている。大名行列の切り絵風のレリーフも見どころ。
やはり欄干に掲げられた、橋改修にあたってのコンセプトを記したプレート。1989年(平成元年)の完成なので、現在では「開通のときから八十年」に30年を足さなくてはならない。

この関所橋まできたら、せっかくなので近くにある贄川関所も見学しておきたい。場所はこの橋の南東側袂すぐのところで、行きやすいからだ。中山道の木曽路部分の関所といえば 木曽福島 にあった「福島関所」が有名だが、贄川関所はその福島関所の副関として置かれた贄川口留番所で、木材の白木改めと女改めなどの役割を担っていた。現在の関所の建物は当時の位置とはずれた場所になるが1976年にかつての配置図や資料を元に復元されたもので、館内には中山道の交通に関る資料などを展示している。また階下は「木曽考古館」になっており、楢川地区で発掘された石器や縄文時代の土器が展示されている。

「贄川関所・木曽考古館」の門付近に掲げられた案内板によると「贄川関所は明治2年(1869年)福島関所とともに廃止され、建物も取り壊されました。現在の建物は、寛永4年(1627年)の「覚」及び、明治9年(1876年)発行の「贄川村誌」の 古関図を元に復元したものです。なお、当時の関所は今の位置より西側にあり東を向いて建っていました。※カッコは筆者補足」とのこと。列車は11時20分頃に通過するEF64 1000番台重連牽引の上り貨物列車で、関所橋の南東側袂からの撮影。
上の案内板の裏は説明板になっている。開所は江戸時代よりはるか以前の 建武の新政時代 になるらしい。
「贄川関所・木曽考古館」の入出場口。入場料大人高校生以上300円。休館日/毎月曜・祝日の翌日・年末年始。開館時間/4月~11月9時~16時30分・12月~3月・9時~16時。

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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。