鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]JR関西本線 関駅 北方350m付近~
在来線のJR東海道本線 熱田-草津 間は、江戸時代の東海道五十三次の 熱田(宮)宿-草津宿 間とは全く別のルートを通っており、なかでも岐阜-草津 間は「東海道本線」を名乗りつつ、ほぼ中山道に沿って敷かれていることは有名な話しだろう。では江戸時代の東海道の 熱田(宮)宿-草津宿 間はどこを通っていたのか? 鉄道路線と合致させようとすると少しずれるが大体でいうと、熱田-桑名-(JR関西本線)-柘植-(JR草津線)-草津 がほぼそれに沿ったルートになる。
そして、そんな旧・東海道筋の途中にあるJR関西本線 関駅から歩いていける距離にある建造物群保存地区が「東海道関宿」だ。
江戸時代の宿場町の面影を残す町並み保存地区としては奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿が挙げられるがこれらはいずれも木曽路(中山道)にあり、東海道筋の宿場町でこれ程までの町並みが残っているのは「東海道関宿」の他にはないだろう。またJRの駅から歩いていける距離にあるというのも魅力の一つといえる。というか、そんな立地だからこそ当サイトで紹介しているわけでもあるが。
せっかくなので、亀山市で配付している「東海道関宿」のパンフレットからこの町並みの案内文の一部を抜粋して紹介しよう。
「関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ『鈴鹿関』が置かれていたところです。関の名もこの鈴鹿関に由来しています。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。関宿の範囲は、東西追分の間約1.8キロメートル、25ヘクタールに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが残っています。」
それにしても、鉄道旅 の当サイトにナゼ宿場町ネタが紹介されているのだろう。と、疑問に思っている方もいるのではないかと思う。
実は、関宿の「西の追分」から北東へ直線で200mほどの場所にSL「C50 154」号が保存されていて、この展示機を訪ねるためには、関宿の町並みを通り抜けなければならないという事情があるからだ。
では、その C50 の写真もお見せしよう。
複数人で旅行をしている場合、皆が鉄道好きでない場合もありえるので、例えばこのような「保存展示機が近くにあるので見に行きたい。」と思っても、全員が賛同するとは限らない。そんな時に、この「東海道関宿」のような万人が楽しめるスポットが付近にあるとツレをこちらに置いて単独行動が取りやすくて助かるものだ。
今回はそんなケースではなかったが・・・。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。
「旧・東海道の宿場町の面影が残る町並みとC50」への1件のフィードバック
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