後押し補助機関車が定期運用で活躍する西日本の難所

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]JR山陽本線 広島貨物ターミナル→西条
現在の我が国において機関車牽引列車の重連運転というと本務機の次位に補機(機関車の連結順が逆の場合もあり)というように一括して列車の最前部に連結する場合がほとんどだが、山陽本線の 広島貨物ターミナル→西条 間では編成の後部に補機を連結した前後連という稀少な編成の定期貨物列車(石北線の前後連タマネギ列車は臨時貨物)を見ることができる。

と、もうここまで書けば、今回の内容が、いわゆる『瀬野八』を含む急勾配区間の話しなのは、鉄道に詳しい読者の方ならすでにお気付きだろう。いまさらネタだとは思うが、2013年3月16日を皮切りにこの区間で後押しを主な任務とするEF210形300番台がEF67形の置き換え用に新製投入されたこともあり、これからも前後連が見られる貴重な区間として存続しそうなので紹介させていただいた。

広島貨物ターミナルを発車してゆく上り貨物列車の後補機EF210-309を天神川駅上りプラットホームより後追い撮影。テールランプが点いているのが後補機の証し。
コンテナ列車を押し上げるEF210-302。一部の鉄道好きの間ではこのEF210-300番台を「押し太郎」と呼んでいるらしい。ちなみに、タイトル写真との連続撮影になる。寺屋→西条。
上写真の同地点からの同じ列車の後追い撮影。前方はるかに本務機のEF210-116が見える。寺屋→西条。

「瀬野八」とは上記区間内の瀬野駅から八本松駅に向かって最急22.6‰の上り勾配が続く難所で、ここを克服する歴史は1894年(明治27年)6月10日に山陽鉄道により 糸崎-広島 間が開業した時、ここを通るルートを採ったことに始まる。この時「瀬野八」を克服するために採用したのは、上り列車に後補機を付けて急勾配を上る方法だが、なんとそれが現在まで続いているのだ。
開業時、この補機を待機する場所として、瀬野駅に隣接した場所に広島機関庫瀬野駐泊所も開設された。当然この頃の補機はSL。当時は下り列車にも制動の関係で補機が付いて云々の話しもある。

時が経過した1962年6月1日に「瀬野八」が電化された後もしばらく補機はSLを使用していたが、1964年には補機が完全にEL化された。この頃は、かつての駐泊所は「瀬野機関区」と名は変わっていたが存続していて、そこには補機用機関車が配置されて、相も変わらず22.6‰の連続上り急勾配に挑んでいた。しかし状況の変化もあり、所属機関車の運行区間は瀬野駅や広島駅もしくは広島操車場から八本松駅または西条駅までの間と、列車各々の都合により連結解放地点の範囲は広がっていた。それでも、機関車牽引列車のほとんどを後押しする補機運用は、ここの機関車が担っていた。
だが、そんな瀬野機関区だったが1985年3月14日に広島機関区瀬野派出所となり、次いで1986年11月1日付けで広島機関区に統廃合された後に補機の基地としての役目を終えている。この間には広島操車場跡地が広島貨物ターミナルになっていたりしている。さらに時が経った2002年2月22日、この日をもって八本松駅構内における走行解放が廃止されたが、その後は後部に補機を連結する区間は 広島貨物ターミナル→西条 間の上り貨物列車のみにほぼ落ち着いている。

と、そんな過去の変遷や経緯の詳細を書き出すとまだまだ長くなるので、この辺りは他のサイトなどを見ていただくとして、現状の運行形態に話しを移そう。

コンテナ列車を押し上げるEF210-308と、役目を全うして広島貨物ターミナルへ帰るEF67 105のスレ違い。朝方にはタイミングが合えば、この様な世代交代間近を予見させてくれるシーンにお目に掛れることもある。西条-寺屋。

現在、「瀬野八」に挑むための後補機は広島貨物ターミナルで連結され、西条駅で一時停車して解放するパターンに統一されている。
広島貨物ターミナルは天神川駅西北西数百mの場所にあり、そこで後補機を連結して前後連で発車した貨物列車は、約40分で西条駅に到着する。西条駅では貨物列車が3Tもしくは5Tに入線するため後補機の解放シーンを間近で眺めることができる。ブルートレイン列車なき後、旅客プラットホーム脇での機関車の解放シーンが見られる場所は案外貴重なのではないかと思う。

西条駅上り線プラットホームの発車標には「貨物」の種別が表示されるのでありがたい。
西条駅3Tに広島方から入線するコンテナ列車を押すEF210-308。貨物列車は、旅客列車が3Tを使用している場合などには5Tに到着する。
西条駅で解放されたEF210-308。300番台の特長は他のEF210と違い、サイドにゴールド・ラインが2本入っている。

西条駅で切り放された機関車は、折り返し単機により広島貨物ターミナルなどまで帰ってゆく。これは片勾配の難所ゆえに見られる独特の光景といえよう。この区間を訪れてみると、片方向専用の補機の力を借りてまでして長大貨物編成を走らせている山陽本線が、いかに物流の大動脈であるかが解ることだろう。

役目を遂げて広島貨物ターミナルへ単機で帰るEF210-309。西条→寺家。

「瀬野八」越えの旅客列車には電車の115系と227系が充当されている。これらは動力分散式なのと抑速ブレーキを装備している点もあり「瀬野八」区間でも急勾配を走っている体感がないままに上下線共に走破してしまう。そんな車内において急勾配区間に乗車していることを認識する手段としては、車窓から「勾配標」を探すというのもありかも知れない。
鉄道の難所越えの味わい方は各人に様々あろうが、これもその一つかなと思う。

瀬野西トンネル北西側(広島方)の坑門前に立っている「22」‰の勾配標。最急22.6‰はこのトンネルの前後に控えている。


ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。