駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(3) 東京都・新橋駅

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]JR東海道本線など 新橋駅前
駅なかや駅近の鉄道にまつわるオブジェやモニュメントを訪ねる不定期シリーズです
当シリーズも3回を迎えたが、ついに鉄道系モニュメントの大御所「新橋駅」が登場だ。

東京の新橋駅といえば、1872年10月14日 (明治5年9月12日)に日本初の鉄道路線が新橋-横浜 間に正式開業した際の起点となった駅だが、実は当時の「初代・新橋駅」はかつての汐留駅で、現在の位置にある駅は「二代目・新橋駅」になる。それは初代の新橋駅が、1914年(大正3年)12月20日に開業した東京駅へのルートから外れたため、こちらのルート上にあって初代・新橋駅に隣接していた院線電車の駅「烏森」が「新橋」に改称され、初代・新橋駅は旅客営業を廃止して「汐留」に改称されたことによっている。まあ、そんなことは当サイトの読者ならご存知のことだろう。そしてこの汐留駅は1986年11月1日に廃止になった。なのでそれ以後は、隣接していた現・新橋駅を『日本の鉄道発祥地 』としても差し支えないだろうと思う。このようなヒストリがある新橋駅だから、モニュメントはそれなりに設置されている。
それでは日比谷口(西口)の鉄道系モニュメントから眺めていくことにしよう。

右に立っているのは「愛の像」で、かつては広場の真ん中にいたが、2006年のSL広場改修にともない、この位置に移動してきた。
C11 292号は、1945年2月11日に日本車輛株式会社により製造され、姫路第一機関区に配属となった。播担線や姫新線で活躍し、走行距離は108万3975km。姫路で生涯を過ごしたが、1972年8月9日に保存のため品川へ移動。同年9月16日に品川にて廃車となって、この場所へ移動し保存展示された。
「汽笛一声時間」と称して、12時・15時・18時に汽笛が数秒間鳴る。

日比谷口前に広がるのはSL広場。TVの街頭インタビューなどでお馴染みの場所だ。そしてその広場名のフラグシップにもなっているのが、駅の対面に展示されたC11形SL「C11 292」号になる。
このSLは、鉄道100周年記念にあわせ、1972年に地元商店街や町会の活性化を目的として展示された保存機で、いまや西口のランドマークといっても過言ではないだろう。一緒に腕木信号機も展示されているのだが、これがまたピッタリなアクセントになっているのも良い。

烏森口はラッチ内に注目

駅南西側の烏森口のラッチを入ってすぐ目の前の、1・2番線ホームと3・4番線ホームへの階段の間のトイレの脇に「明治42年烏森駅開業時の柱」が立っている。この柱は本来はこの位置にあったのではなく、2002年に3・4番線ホームのエスカレータ新設に伴う階段解体工事の時に、取り外して現在位置に保存することになった1本。詳細は写真2枚下の説明文を読んでいただけたらと思う。
また、この地点から東に目を向けると、20m程先の地下・横須賀線ホームへの階段の上にステンドグラスが飾られているのが見えるが、その図柄の中にSLが取り入れられているので、それも紹介しておこう。この作品名は「くじゃく窓」といい、原画は吉岡堅二氏により、完成は1976年10月1日の同駅・地下ホーム使用開始時になる。

烏森口改札を入ってすぐのトイレ脇に立つ「明治42年烏森駅開業時の柱」。ちなみに製造されたのは、柱の浮出文字によると、駅開業1年前の1908年(明治41年)1月になる。
「明治42年烏森駅開業時の柱」の説明板。当時、烏森駅は我が国初の高架駅として誕生したとのこと。
左のSLの正面像は一号機関車。右下のSLの動輪は青梅鉄道公園に保存されているE10 2号の第2・第3動輪がモチーフと言われている。

汐留口には動輪と歌碑

新橋駅の東方200mほどのところにはかつての汐留(初代・新橋)駅があり、駅東側の駅出入口は「汐留口」を名乗っている。この口から 新交通システムゆりかもめ への乗り換えルートの脇にあるのが「鉄道唱歌の碑」と「D51機関車の動輪」だ。

左のD51動輪は、バランスウェイトの大きさからして主動輪(第三動輪)だろう。
鉄道唱歌の碑の上に飾られた一号機関車+二軸客車2両の編成のミニチュアモデル。ほどほどにデフォルメされたユーモラスなスタイルから躍動感が伝わってくれる。

鉄道唱歌は明治時代に、大和田建樹先生により作詞された鉄道を題材にした唱歌で、全6集374番(諸説あり)からなっている。この碑は、その最初の第1集第1番ゆかりの地である新橋駅の汐留口前に、大和田建樹先生の生誕百年にあたる1957年に建立されたもの。
下写真はその歌碑と「D51機関車の動輪」の説明板になる。

D51動輪の前に立てられている説明板。動輪が何号機のモノなのかは記されていない。

旧新橋停車場跡は鉄道歴史展示室に

新橋駅の汐留口から東方約200m程のところに「旧新橋停車場」がある。
元々は汐留駅が現役だった頃から『0哩標識』があった場所で、この標識は1958年(昭和33年)10月14日に旧国鉄によって鉄道記念物に指定され、1965年5月12日には国の史跡『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』に指定されていた。そして汐留駅廃止後の1991年(平成3年)度からの埋蔵文化財調査よって「開業当時の駅舎基礎・プラットホーム・軌道敷」が発見され、これにより指定地域を追加・一部解除して、周辺の約1824平方メートルを1996年12月10日に国の史跡『旧新橋停車場跡』へと名称変更している。さらにその後の1998年に、旧新橋停車場の建物を当時と同じ場所に開業時の外観で復元するプロジェクトが実質スタート。2003年4月10日に「旧新橋停車場・鉄道歴史展示室」としてオープンした。

旧新橋停車場復元駅舎の北東側にある「鉄道歴史展示室」の入口。
復元駅舎を東側から眺めたところ。現行の建築基準法などの制約によりRC造一部S造で建てられてはいるが、外観は可能な限り当時の姿を再現しているとのこと。
上写真右下に立てられている説明板。駅舎が再建されるまでの経緯が記してある。
「鉄道歴史展示室」の入口には、「駅舎玄関遺構」が見られるように配慮されている。
上写真やや左に立っている説明板のアップ。
駅舎の南西側にある再現されたプラットホームと線路。頭端式ホームの先はビアホールになっている。
車止めの先に立てられた「0哩標識」。脇に立つ説明板の文によると「1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936年(昭和11年)に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958年(昭和33年)10月14日、旧国鉄によって『0哩標識』は鉄道記念物に指定され、1965年(昭和40年)5月12日『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』として国の指定史跡に認定されました。」とのことで、汐留駅があった頃からの史跡になる。
創業当時の線路のバラストが被っていない部分のアップ。こちらも説明板の文によると「創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土を被らせ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対称のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われたあと、新潟県柏崎市の精油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両社からご寄贈いただきました。」当時の双頭レール締結の方法が見られるのが嬉しい。
双頭レールの断面も眺められる。
プラットホームの上は普段はフラットになっているが、写真4枚上のプラットホームに何か飾られているのが気になった方もいると思うので、全体もお見せしておこう。昨年末のイルミネーションで、新幹線型の電飾が数分おきに、メロディーを鳴らしながら光り、スモークが噴出するというアトラクションになっている。せっかくなので、プラットホームの説明板の文も載せておこう。「プラットホームは『盛土式石積』という構造で作られています。両側面の真下には、溝状に地面を掘って基礎石を敷詰め、その上に切石を石垣のように積んで土留め壁が作られ、内側には土が詰められました。基礎石には龍野藩脇坂家・仙台藩伊達家両屋敷の礎石などが使われました。切石は笠石を含めて6段あり、地表には笠石を含めた上3段が出ていました。最下段部分は小口面を揃えて横に並ばせ、2段目から小口面と長手面を交互に並べて積んでいます。ただし、一律的に小口面と長手面が交互になっているわけではなく、2・3段目では小口面が続く個所もあり、4・5段目では長手面が並ぶ個所もあります。規模は、プラットホームの全長が151.5m、幅は9.1mありました。再現されたのはそのうち駅舎寄りの25mてす。遺跡指定の範囲に残されているプラットホームの遺構は35mです。」

わが国の鉄道発祥の地に建てられた「旧新橋停車場」の建物内にはビアホールも入っているので、 かつてのプラットホームを眺めながら明治の古に思いを馳せて、ジョッキを傾けるのも風雅かも知れない。



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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。