ゲージ3種類の線路が並ぶ踏切

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR関西本線・近鉄名古屋線 桑名駅 三岐鉄道北勢線 西桑名駅 南方200~300m付近
三重県の桑名(+西桑名)駅は、近鉄の1,435mmゲージと、JR&養老鉄道の1,067mmゲージと、三岐鉄道 北勢線の762mmゲージの3種類の軌間の線路が集まる日本唯一の場所として鉄道好きの間では有名だが、ではそのゲージ3種類を一気に渡れる踏切があるのかとグーグルマップで調べたところ、1箇所あることが解った。

画面中央付近を横に横断している筋が、軌間3種類を1本道で渡れる踏切。写真左のバラストがグレーの線路が1,435mmゲージの近鉄 名古屋線、JRの313系クモハ1319など2連が走っている線路が1,067mmのJR関西本線、右の幅が狭い線路が762mmゲージの三岐鉄道 北勢線。ちなみに、上のタイトルは同地点から撮った写真で、左の1,435mmゲージの線路に走っているのは、近鉄の2430系2447Fになる。
画面中央付近を横に横断している筋が、軌間3種類を1本道で渡れる踏切。写真左のバラストがグレーの線路が1,435mmゲージの近鉄 名古屋線、JRの313系クモハ1319など2連が走っている線路が1,067mmのJR関西本線、右の幅が狭い線路が762mmゲージの三岐鉄道 北勢線。ちなみに、上のタイトルは同地点から撮った写真で、左の1,435mmゲージの線路に走っているのは、近鉄の2430系2447Fになる。

この踏切を訪ねてみると、線路は確かに3種類のゲージが並行しており、東側からみて、三岐鉄道 北勢線の762mmゲージ、JR関西本線の1,067mmゲージ、近鉄名古屋線の1,435mmゲージと並んでいるのだが、踏切としてはJR線と近鉄線の間に中洲のように警報機&遮断機で区切られた場所(※以後「中洲」に略。)があり、実質的には1つの踏切ではないが、1本道であることには違いなかろう。
では、そんな日本唯一の踏切道を、東側の北勢線の方から眺めていくことにしよう。

踏切東寄りの762mmゲージ側からの西方向の眺め。余談だが、三岐鉄道北勢線 西桑名駅 は桑名駅駅前広場の南側に面しているが「西」を冠している。
踏切東寄りの762mmゲージ側からの西方向の眺め。余談だが、三岐鉄道北勢線 西桑名駅 は桑名駅駅前広場の南側に面しているが「西」を冠している。
762mmゲージの踏切を阿下喜寄りから西桑名方に向かって眺めたところ。車輛は三岐鉄道北勢線270系モ276。
762mmゲージの踏切を阿下喜寄りから西桑名方に向かって眺めたところ。車輛は三岐鉄道北勢線270系モ276。
762mmゲージの踏切を上写真の反対側、西桑名寄りから阿下喜方に向かって眺めたところ。車輛は三岐鉄道北勢線130形ク134。
762mmゲージの踏切を上写真の反対側、西桑名寄りから阿下喜方に向かって眺めたところ。車輛は三岐鉄道北勢線130形ク134。
踏切の中洲から北向き桑名駅方の眺め。左が1,435mmゲージの近鉄名古屋線で車輛は2444系2444F、右が1,067mmゲージのJR関西本線。そして右端に見えるプラットホームは762mmゲージの西桑名駅だ。
踏切の中洲から北向き桑名駅方の眺め。左が1,435mmゲージの近鉄名古屋線で車輛は2444系2444F、右が1,067mmゲージのJR関西本線。そして右端に見えるプラットホームは762mmゲージの西桑名駅だ。
上の中洲から逆の南向き四日市方の1,067mmゲージのJR関西本線側の眺め。車輛はJR313系クハ313-1330などの2連。
上の中洲から逆の南向き四日市方の1,067mmゲージのJR関西本線側の眺め。車輛はJR313系クハ313-1330などの2連。
上の同地点中洲からの南向き1,435mmゲージの近鉄名古屋線側の眺め。車輛は近鉄22000系ACE。 なお、背後に写っている跨線橋は「ゲージ3種類の線路を一気に渡る跨線橋」で、こちらも日本唯一。タイトルと次の写真はこの跨線橋上から撮影している。
上の同地点中洲からの南向き1,435mmゲージの近鉄名古屋線側の眺め。車輛は近鉄22000系ACE。なお、背後に写っている跨線橋は「ゲージ3種類の線路を一気に渡る跨線橋」で、こちらも日本唯一。タイトルと次の写真はこの跨線橋上から撮影している。
踏切西寄りの1,435mmゲージ側から東方向の眺め。1,435mmゲージの先に中洲が窺える。列車密度が高い踏切で、渡る距離が長いため配慮として設置したのだろう。
踏切西寄りの1,435mmゲージ側から東方向の眺め。1,435mmゲージの先に中洲が窺える。列車密度が高い踏切で、渡る距離が長いため配慮として設置したのだろう。



[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。