太平洋戦争の痕跡が残る高架駅

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。弾痕の残る国道駅をご紹介します。

空襲後残る JR鶴見線 「国道駅」を訪ねて

一部のレトロ駅ファンの間ではかなり有名な「戦時中の空気がただよう駅」JR鶴見線 国道駅を訪ねてみた。
鶴見駅から乗車すると1駅め、JR東海道本線やその他と京浜急行線をオーバークロスして、さらに国道15号線(第一京浜国道)も鉄橋でオーバークロスするとすぐに国道駅に着く。

「一国」と「二国」と「1号」と

「国道」の駅名の由来は、この国道15号線に入口が面しているからというのは、すぐに理解できる。
ここで少し雑学を。この地域でよく「一国」という言葉で表現されるのはこの第一京浜国道である国道15号線を指し、国道1号線は都内から京浜急行線神奈川駅付近で国道15号線と交わる地点までの第二京浜国道がそれであり、一部地域ではこちらを「二国」という呼び方をしていたりする。ちなみに「二国」という呼び方が浸透したのはフランク永井氏の“夜霧の第二国道”というレコードが1957年に発売されヒットしたのが切っ掛けという説もあるが、真実は定かではない。ただ言えることは、この辺りでの待ち合わせなどの場合、「一国」沿いなのか「1号線」沿いなのかで地点がかなり違ってしまうので、相手にしっかりと確認しないと、勘違いでめんどうなことになる場合もあるということをアドバイスしておこう。

雰囲気が独特な国道駅

さて、国道駅のホームに降り立つと、複線相対式ホームの屋根を支える鋳鋼製のアーチがまず目に入ってくる。そして架線柱も鋳鋼製のアングルを組んで造られた物だったりと、そんな武骨な佇まいは、きな臭い時代が近づきつつある頃に造られた建物であることを解らせてくれ、周りの町並みを見なければ、ホームに居るだけでも気分はすっかり昭和中期以前へとタイムスリップしてしまう。実際にこの駅は1930年の開業であるから、この感覚はおかしくはないだろう。

国道駅を降りてまず目につくのが屋根を支えるアーチ型の鉄骨だろう。鋳鋼製のアングルとプレートをリベットで繋いで組んだ構造は昭和初期の造りその物。また手前の架線柱もビーム部を含めて鋳鋼製のアングルとプレートをリベットで繋いで組んだ物で注目点。
国道駅を降りてまず目につくのが屋根を支えるアーチ型の鉄骨だろう。鋳鋼製のアングルとプレートをリベットで繋いで組んだ構造は昭和初期の造りその物。また手前の架線柱もビーム部を含めて鋳鋼製のアングルとプレートをリベットで繋いで組んだ物で注目点。

そして階段を降り改札を抜けると、高架下にも昭和初期に竣工した当時の構造が残っており、国道15号線側の出入り口と反対側の裏道に設けられた出入り口との間約60m程は、かつては賑わっていたであろう店舗や店舗跡が軒を並べ、この空間は時の流れを忘れてしまったかのような独特の空気に包まれている。これがレトロ駅ファンの心を掴んでいるのは間違いなかろう。
改札口側から国道15号線側の出入口を眺めたところ。昭和な雰囲気の中に簡易Suica改札機が異彩を放っている。
改札口側から国道15号線側の出入口を眺めたところ。昭和な雰囲気の中に簡易Suica改札機が異彩を放っている。

国道15号線側の駅出入口。高架線下が通路にもなっていて、反対側の裏道に面した出入口まで通じている。
国道15号線側の駅出入口。高架線下が通路にもなっていて、反対側の裏道に面した出入口まで通じている。

国道15号線側から眺めた改札口。柱2本先のコンクリート梁のような物は階段の途中から通路を跨ぐように造られた橋で、改札口を片側に集約する時に設けられた物だと思われる。
国道15号線側から眺めた改札口。柱2本先のコンクリート梁のような物は階段の途中から通路を跨ぐように造られた橋で、改札口を片側に集約する時に設けられた物だと思われる。

これがその橋で、下り線側の階段から眺めたところ。
これがその橋で、下り線側の階段から眺めたところ。

上り線側は階段が橋の所で突き当たりになっているが、「はまれぽ.com」というホームページで紹介されていた過去の写真では、この下にも階段が伸びていたため、おそらくこの橋を造った時点で塞いだものと思われる。
上り線側は階段が橋の所で突き当たりになっているが、「はまれぽ.com」というホームページで紹介されていた過去の写真では、この下にも階段が伸びていたため、おそらくこの橋を造った時点で塞いだものと思われる。

上り線の階段をさらに伸ばしていくと仮定すると、右のベニヤ板の所に達する。この向こう側に何があるのかは気になるところだ。
上り線の階段をさらに伸ばしていくと仮定すると、右のベニヤ板の所に達する。この向こう側に何があるのかは気になるところだ。

高架下を裏道の出入り口まで進むと、こんな光景が展開する。向い側の橋脚も逆U字型になっているのは、デザインの観点からだろうか?
高架下を裏道の出入り口まで進むと、こんな光景が展開する。向い側の橋脚も逆U字型になっているのは、デザインの観点からだろうか?

裏道側の駅出入口。逆U字型の梁が連なっている、当時としてはおそらくモダンを意識したであろう構造からは、駅下のコンクリート部を造った頃にはまだ大正モダンの流れが残っていたのかも知れない。
裏道側の駅出入口。逆U字型の梁が連なっている、当時としてはおそらくモダンを意識したであろう構造からは、駅下のコンクリート部を造った頃にはまだ大正モダンの流れが残っていたのかも知れない。

高架下の雰囲気は添付の写真に譲るとして、国道駅の持つレトロな雰囲気によるためか、ここでロケをされた映画やドラマは多数あるので、代表的なものを3点挙げておこう。

  • 1949年 黒澤明監督作品 野良犬
  • 2006年・2007年 テレビ朝日系 時効警察
  • 2007年 TBS系 華麗なる一族

など。

太平洋戦争の爪痕残す駅

国道駅の注目点はさらにある。それは大平洋戦争末期に付近への大空襲により飛来したアメリカ空軍の爆撃機隊の護衛戦闘機が急降下して機銃掃射したことによる弾痕が外壁に残っている点だ。時代的にはこの行為をおこなった戦闘機はおそらくP51であろう。
かなり以前に、千葉の片田舎に住む大正12年生まれの母が語っていた、「B29は、頭の上を過ぎてしまえば何もしないので眺めていられるが、戦闘機は突然に降りてきて誰構わず機銃を撃つので、そっちのほうが恐かった」という話しを、この弾痕を見て思い出した。余談になるが、戦時とはいえ非戦闘員を撃つこんな行為は本来は戦時国際法違反であり、これを現在におこなっていたら、この戦闘機パイロットはマスコミに叩かれるし、これにより民間人を殺していれば戦争犯罪人として裁かれることになるだろう。当時の結果としての勝戦国の軍人だからといっても、せめて反省はしてもらいたいものである。
さて、その弾痕は、国道15号線側の出入り口を出て左側の壁の上にある。現時点では壁の崩落防止のために網が掛けられているが、それでも弾痕は確認することができる。

国道15号線側の出入口を、国道を渡った地点からワイドぎみに眺めたところ。右の1階と2階の間のモルタル部にアメリカ空軍戦闘機による機銃掃射の弾痕が残っている。
国道15号線側の出入口を、国道を渡った地点からワイドぎみに眺めたところ。右の1階と2階の間のモルタル部にアメリカ空軍戦闘機による機銃掃射の弾痕が残っている。

弾痕のアップ。
弾痕のアップ。

終戦70年めのこの夏、かつて日本が米英蘭と戦争をしていた事実を再認識できる痕跡を眺めにいくのも一考かと思われる。


[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。