大東亜戦争終結80年祈念 不定期シリーズ
[場所]JR上越新幹線・信越本線 長岡駅 北北東約500m
本年は大東亜戦争が終結してから80年の節目の年になり、そしてこの2025年8月15日には80回目の、日本国内で世間的に言われている終戦の日を迎える。これに因んで、筆者が過去に訪れたことのある大東亜戦争に所縁の展示がある施設のうち、デジカメ化後の写真で撮ってあった3テーマに添う箇所を、不定期シリーズにはなるけれども紹介していこう。その第1回は、新潟県長岡市の山本五十六旧日本海軍元帥の生家(復元)と山本五十六記念館をご紹介。
なお、鹿児島県の「鹿屋航空基地資料館」は2022年11月15日アップにてすでに紹介済みなので、こちらはその記事を見ていただくとして、この度のリストに入っていないことを予め申し添えておく。
4月に訪れたい場所
山本五十六旧日本海軍元帥の名前は皆さん知っていると思う。旧日本海軍の第27代聯合艦隊司令長官で、1941年(昭和16年)12月日本時間8日未明のハワイ真珠湾攻撃の作戦を敢行し、その後も大戦前半における旧日本海軍の指揮を取った軍人である。
ではナゼ本項の見出しに「4月に訪れたい場所」と記してあるのか? それは山本五十六旧日本海軍元帥の誕生日が1884年(明治17年)4月4日で、ブーゲンビル島上空で乗機の一式陸攻が米空軍P38戦闘機に撃墜され戦死したのが1943年(昭和18年)4月18日だからになる。
■山本五十六記念館
それでは、山本五十六記念館の外観を眺めていこう。
ということで、館内展示品などの写真を含め、その辺は下の同館URLから見ていただきたくお願いしたい。
⚫️山本五十六記念館
Yamamoto Isoroku Memorial Museum
http://yamamoto-isoroku.com/
※開館時間や入館料、さらに後紹介の山本五十六旧日本海軍元帥の生家(復元)に関する情報もコチラからリンクしています。
■山本五十六旧日本海軍元帥の生家(復元)
冒頭では山本五十六旧日本海軍元帥の生家(復元)の位置を「長岡駅から北西約400mほど」と紹介しているが、山本五十六記念館から見ると南南西100mほどの地点に位置している。
山本五十六記念館前から南南西を向くと、駐車場(私有地)の先に山本五十六海軍元帥の胸像の背が遠望できるので、位置は解りやすい。
なお、文中では「(復元)」の文字がコレでもか…という程にしつこく記しているが、なぜなら本来この場所に建っていた元の生家は1945年(昭和20年)8月の大東亜戦争末期に米軍の大空襲により焼失してしまったため、戦後に復元された建物だからになる。
次は、建物の内部へ入ってみよう。
ところで、記事中では「大東亜戦争」との文言を使用したりと、戦史の歴史感において、現在の教科書あたりとはズレがあるように見られるかもしれないが、筆者の近代における戦争史観は、「アジア東方(大東亜)の解放のために日本人が立ち上がった」という認識が、小学生高学年の頃にのみ読んでいた月刊「丸」と、同時期に放送されていたTVアニメ「決断」の影響に拠りできあがっているトコロが大きく、その後に興味が鉄道に移ったため、戦争の知識は小学生の頃から進歩していない点は否めないので、何か発言に偏りがあってもお許ししていただきたくお願いしたい。
せっかくなので、TVアニメ「決断」第1話「真珠湾攻撃」のユーチューブのURLを下に載せておく。
https://www.youtube.com/watch?v=u-8PatBAAdo
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。