境内地を通る踏切を訪ねる…静岡県・石部神社

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR東海道本線 用宗-焼津

神社お宮の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる元旦シリーズです

全国の鉄道路線の中には神社やお宮の境内地に踏切が通っている場所がタマにある。そしてその景色って「ナゼここに!?」って意外性があり不思議な気分にさせてくれる。
当サイトでは、そのような境内ナカにある踏切を「境内地踏切」と名づけて訪ねる不定期シリーズを展開しているが、この度2024年1月からの約1年ぶりにご紹介しよう。
ということで、登場するのは静岡県静岡市駿河区に鎮座する石部神社の境内地踏切だ。 

一ノ鳥居は用宗街道沿いのやや低い位置に立っているが、用宗街道からの鳥居はコレのみなのですぐに発見できる。
JR東海道本線の区間的には 用宗-焼津 間になる。
東京と神戸を結ぶ東海道本線は、東海道五十三次で言うトコロの鞠子宿-藤枝宿の区間では本来の東海道よりかなり離れたルートに敷設されている。ということで、この度紹介する「石部神社」は東海道本筋から見ると海沿いの大崩海岸を通る用宗街道(県道416号)の沿道に建立されている神社になる。
位置的には用宗駅の南西1kmほどの場所にあり、一ノ鳥居が用宗街道沿いに面して立っているので判りやすい。上写真がその石部神社の一ノ鳥居になる。
では、一ノ鳥居をくぐって、参道へと入っていこう。

そして一ノ鳥居の社殿側。奥の一段高くなっているトコロが用宗街道。
上の場所から反対を向くと立っているのが二ノ鳥居。
二ノ鳥居の社殿側。
同地にこの神社が鎮座されたのは、境内の説明板(後で紹介)によると「天明元年再建」(1781年)とあるので、東海道本線の方が、石部神社の建立より後に建設されたことになる。
そのようなことを頭に入れて、では石部神社を用宗街道側から訪ねていこう。

踏切名は「宮前踏切」

二ノ鳥居をくぐると、その先すぐに東海道本線の踏切が見えてくる。

上の場所から反対を向くと見える、東海道本線の踏切。その名も「宮前踏切」。電車は…左211系、右が313系。
この踏切の名前は「宮前踏切」と名付けられており、まさに直球の銘々になっている。
そして、この踏切の向こうに三ノ鳥居が立っていて、その先に社殿が建立されている。

そしてその先に見えてくるのが石部神社の社殿。
石部神社前の宮前踏切付近の線路は、石部神社よりやや高い位置に設置されている。
宮前踏切から南西を向くと、約400m先に急峻な山が見える。

宮前踏切を渡り切った地点からの、左(南南西)を向いた景色。
余談になるが、この山の左下の海岸沿いは約4km程大崩海岸と呼ばれる区間で、かつてこの海岸沿いには東海道本線が通っていて、敷設工事に難航した場所であり、その後も海食が激しい区間であったため、新・石部トンネルの工事に着手、1962年に竣工した。
話が大崩海岸へと飛躍したが、本記事は境内踏切巡りを主題にした鉄道が主役の旅ガイドなので、お許しねがいたい。

■御祭神は天照大神
ココから石部神社の訪問記へと移ろう。
東海道本線のこの辺の線路は、小高い築堤に似たスタイルで敷設されている。なので、宮前踏切から社殿を眺めると、やや低い位置に立地している。
だが、境内に入ってしまえば、この高低差は気にならないくらいな空気感が付近を覆っている。さすが神域である。

石部神社の社殿。
参道からの正面に鎮座する社殿の中には、さらに社が3つ並び鎮座していて、この中それそれに御神体がお祀りされている。
社殿内のこの3社は、中央が石部神社の御祭神・天照大神、左右はどちらがどちらか筆者は判らなかったが、白髭神社・猿田彦命、山神社・大山祇命がお祀りされていると思われる。

石部神社の境内からの南東向き、東海道本線方の眺め。車輛は下線をゆくEF210。
上写真の左手に立つ説明板が下の写真になる。
石部神社の縁起はコチラを読んでいただきたくお願いする。

上写真の左に立っている説明板のアップ。
説明板の足元のトコロには丸い石が置かれている。この謎の丸い石に関しては後述するので、とりあえずこの存在を覚えておいてほしい。
そして、上々写真右手、説明板の対面に 猿田彦大神 の庚申塔が建立されている。

説明板の足元に置かれた丸い石。とりあえず、この石の存在を覚えておいていて欲しい。
この庚申塔の右下に置かれているのが「力石」とのことで、大きな石を担ぎ上げて力くらべをするのに用いられた石になるらしい。

上々写真の右に建立されている庚申塔のアップ。
しかし、コレでは力石と名乗るにはサイズが少し小さい気がする…上写真の丸い石が正真正銘の力石…との説がある。
その辺りの研究レポートは かえるのうち 氏のブログにて「石部神社と力石」として記事になっているから、このURLを下に貼っておくので、気になった方は合わせて読んでいただきたくお願いする。
https://frogcroaks.hatenablog.com/entry/2016/06/14/012738

ところで、上写真の庚申塔の奥に見える溶岩石のような大石も気になった方がいらっしゃるかも知れない。

上写真の先に見える大石。
この大石は手水石で、現在は左奥の井戸がその代わりを務めている。
そして右奥に鎮座している社が津島神社で、素盞嗚命がお祀りされている。

その奥に建立されている津島神社の社。後ろにさり気なく映っている電車は211系。
津島神社・素盞嗚命の社の右に建っているのが、おそらく社務所になる。

中央が津島神社・素盞嗚命の社。
筆者の訪問時にはひっそり鎮まりかえっていたが、例祭日の10月16日には、さぞやニギヤカになることだろう。

社殿から宮前踏切を眺めた写真にて、この項を〆よう。

社殿からの線路側の眺め。カマは下り線をゆくEF510。
■石部神社の裏手には東海道新幹線が通っている
石部神社の背後の鎮守の杜は鬱蒼とした森ではないが、さらに背後には緑の山が聳えているので、神域の雰囲気は多分にある。
さて、石部神社と、その背後の山の間には東海道新幹線の線路が横切っている。

電車はN700S系列のどれか? のパンタグラフ付近。
なんだかんだで、東海道の大幹線の鉄道路線に挟まれた場所に立地した神社なことが解る。

東海道本線の旧線は大崩海岸部分で海岸沿いに出ていた

記事中の「余談」にて 用宗-焼津 間にある新・石部トンネルは、1962年の竣工までは旧・石部トンネルと磯浜トンネルとに分かれていて、その坑門の間は地上区間になっていたが、現在は廃線跡になっている。その場所へは用宗街道(県道416号)で訪れることができる。この地上区間は、1944年(昭和19年)の弾丸列車・日本坂トンネル移行後に廃線にして、1962年に新・石部トンネルとして1本の隧道へと生まれ変わり、東海道本線のトンネルに復帰して現在へと至っている経緯がある。
さて、コレとは別物件で用宗街道の話になるが、用宗街道のいわゆる旧・石部トンネル側のうち約300mの海岸沿い区間には道路にアースシェッドを設けて敷設されていた。しかしこの元・用宗街道のうちアースシェッド区間は土砂崩れや海食が多かった場所で、1971年の崖崩れのためについに通行止めになり、翌1972年に海上に石部海上橋を設けるルートに変更。現在のスタイルになった。このアースシェッド跡は、現・用宗街道の石部海上橋から眺めることができる。

用宗駅南西約800mほどの地点からの南西方の眺め。背後の山の左側が大崩海岸。
と、ここまで書いておきながら、石部海上橋からの廃線跡の写真がないので、用宗街道の用宗駅から南西約800mほどの地点から南西向きに眺めた大崩海岸へ連なる山の写真の掲載にてお許しいただきたい。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。