鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR片町線 京田辺-同志社前など
天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです
…が、この度はアーチ型「跨線水路橋」をご紹介
本記事で取り上げる路線の正式名は片町線だが、愛称に学研都市線が設定されているので、表題回りの[場所]は正式名を使用したが、メインタイトルにはせっかくなので愛称を記してみた。なお文中では片町線を使用していく。記事の統一性がないが、賢明な読者の方なら同じ路線を指していることを理解していただけると思う。さて、そんな片町線には天井川を潜る天神川隧道があり、2020年10月23日アップ「天井川の掘削トンネル探訪(3)」で紹介しているが、跨線水路橋にまで範囲を広げれば、天井川を潜る区間はそれなりに存在している。
そのうちの一つ、京田辺-同志社前 にある「ミツマンボ/馬坂川跨線水路橋」を紹介させていただく。
では…本来は掘削隧道がテーマのこのシリーズに、ナゼ「ミツマンボ/馬坂川跨線水路橋」(以後「ミツマンボ」に省略)を紹介することにしたかというと、構造物のスタイルがレンガ製のアーチ型である点が隧道っぽく見えるかな!? ということと、その名称の「…マンボ」なる呼称が面白かったという点にある。
ではミツマンボを、まずは京田辺(北北西)方から眺めていこう。
上写真はミツマンボを、北北西80mほどのトコロにある鳥本跨線橋から南南東向きに眺めた光景で、このようなスポットがあるのは有りがたい。
せっかくなので、同地点からの反対(北北西)向きの眺めも掲載しておこう。
次は、ミツマンボの南南東50mほどのトコロにある第一南田踏切から京田辺方(北北西向き)に眺めた光景。
コチラの写真は西側から。続いて東側よりの眺め。
ミツマンボの水路上面がビームに隠れてしまっているが、大体は北北西側と同じスタイルと思って差し支えなかろう。
東側は電車を絡めると全体像が把握しずらい写真になってしまうため、こちらは電車なしの写真も掲載しておこう。
なお「マンボ」とは何なのか!? この語源には諸説あるが、その一つが中世以前、元は板などの天井で覆わない素掘りの地下水路を指す呼称であったが、江戸時代後半~導入が進んだ段丘上に整備された灌漑用水を指す名称に使われるようになっていったとも言われている。
ちなみにミツマンボの「ミツ」の語源はコチラも諸説あるが、跨線水路橋のアーチが3つあるので「ミツ」の呼称が冠せられたとも言われている。
近鉄京都線 新田辺-興戸 間の馬坂川跨線水路橋
近鉄京都線 新田辺-木津川台 間は、JR片町線 京田辺-西木津 間と付きつ離れつの距離間隔でホボ並行に走っていることをご存知の方も多いと思う。
と、そのような線路配置なので、近鉄京都線 新田辺-興戸 間にも馬坂川跨線水路橋がある。
コチラは上写真を見ても解る通り、よくあるスタイルの跨線水路橋ではあるが、せっかくなので紹介しておく。
そして、良い機会なので、この付近に立つ未だ半分現役の特高ガントリー(特別高圧送電線)の全体を入れた写真も掲載しておこう。
JR片町線↔︎近鉄京都線間の道路に架かる跨道水路橋
JR片町線↔︎近鉄京都線の線路間には2車線の道路が通っているが、この道には跨道水路橋が架かっている。
この跨道水路橋は「馬坂橋」という名称で、スタイルは一般的な跨道水路橋ではあるが、この際だからコチラも掲載させていただいた。
さらには跨道水路橋の橋台部分のアップ写真をお見せして当記事を〆させていただく。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。