JR東日本地上線区0kmポストの部
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[場所]JR東海道本線など 東京駅
元・国鉄の、いわゆる現・JR線の大元となる起点が東京駅にあることは、当サイトの読者ならご存知だろう。
新幹線・東海道本線・東北本線は言うに及ばず、中央本線・総武本線・京葉線の起点にだってなっている。普段、山手線や京浜東北線系統(路線とは言っていない)に乗っていると何気なく通り過ごしてしまうが、実は重要な起点駅なのである。ということで、東京駅にある「ゼロキロポスト(0kmポスト)」を探し歩いてみた。
ただし、あまりにも見どころが多かったから、それらを前篇&後篇の2回に分けて紹介していこう。
3階の中央本線から
■現1・2番線プラットホーム
若い人にはややこしい話になると思うが、いまの2階にある3・4番線プラットホームは元々中央本線のホーム1・2番線だったけれども、その中央線電車の発着ホームは1995年7月5日に3階にある現・1・2番線へと切り替えられた。
歴史的には現4・5番線の間に設置されているゼロキロポストの方が先に立てられたモノだが、番線数字が若番の方から眺めていくことにしよう。
2階のE電(笑)
上にも記したが、いまの3・4番線プラットホームは元の中央本線のホームだったが、その中央本線ホームが3階へ上がったことにより、3番線~10番線のプラットホームが西(丸の内)側へ1コづつズレることになった。まぁアラフォー以上の人なら、いまさらネタではあろうか。
■現3・4番線プラットホーム
元の中央本線1番線ホームが3番線京浜東北線北行ホームになったのは1995年10月29日のこと。その3番線側に設置されているのが下写真のゼロキロポストになる。まんま距離標といったスタイルである。
そして、元の中央本線2番線ホームが4番線山手線内回りホームになったのは1995年11月5日のこと。その4番線と5番線山手線外回り線路との間に設置されているのが由緒あるゼロキロポストになる。なぜなら、コレは1969年に東京駅開業55周年記念で立てられたオブジェだからだ。いまとなっては山手線の線路の間に設置されていて「ナゼここに!?」と思われるだろうが、設置された時には中央本線と京浜東北線系統(路線は東海道本線と東北本線)の線路の間に立っていたので、まさに3路線の起点に相応しい位置だったといえるだろう。
■現5・6番線プラットホーム
またまたややこしい話になるけれども、現5番線ホームは元の3番線京浜東北線北行のホームだった。コレが山手線外回りホームになったのは1995年12月17日のこと。
その5番線ホーム側から上のゼロキロポストを眺めたのが下の写真になる。
現6番線ホームは元の4番線山手線内回りホームだった。コレが京浜東北線何行のホームになったのは1995年12月24日のこと。その6番線と7番線東海道本線との間に設置されているのが下写真のゼロキロポストになる。
2階在来線近郊電車
現7番線~10番線においては、いまでこそ東海道本線↔︎上野東京ラインが直通運転を行っているが、プラットホーム移設工事実施時期の1995年~1997年には東海道本線系統のみの始発駅だった。
なので、現在において語る場合には来る電車の線名を全て記さねばならないのかも知れないが、この項では「東海道本線」の一言に統一させていただく(汗)。
■現7・8番線プラットホーム
現7・8番線ホームは移設時に他の東海道本線と高さを合わせるため路盤も含め嵩上げしているので、位置的には元の5・6番線ホームだがプラットホーム自体は同じではない。その嵩上げ工事は約半年ほど掛かり、1996年6月23日から7番線・8番線になった。ということで、6番線と7番線の間に設置されているゼロキロポストは、現7・8番線ホームになってから設置されたモノになる。
現8番線ホーム側の8番線と9番線の線路の間にもゼロキロポストが設置されている。
■現9・10番線プラットホーム
現9・10番線ホームは、上記の位置的な元5・6番線が7・8番線を名乗ったのと同日に9番線・10番線へと改称(一時使用停止期間あり)された。
まずは、8番線と9番線の間に設置のゼロキロポスト、いわゆる上写真の反対側を載せておこう。
現10番線ホーム側にもゼロキロポストがある。これ自体はまんま距離標といったスタイルだが、ココの見どころとしてはプラットホームに点鋲を打っているトコロにあろう。
なお、筆者が10番線ホーム側のゼロキロポストを撮影していた時に、対面の20番線にイーストアイE926形がタマタマ停まっていたので、それと10番線のゼロキロポストを絡めた写真も載せておこう。
JR東日本の新幹線
東京駅に来るJR東日本の新幹線列車はいろいろな系統があるけれども、この項では20番線~23番線のプラットホームと番線を示す場合には「東北新幹線」の一言に統一させていただく。
ところで、当サイトの読者なら皆さんご存知と思うが、東北新幹線が東京駅までやってきた1991年6月20日~の当時のプラットホームは現22・23番線の島式1面2線しかなかった。それを頭の片隅に置いていただき、以後の記事を読んでいただくことをお勧めしておく。
■現20・21番線プラットホーム
先の在来線10番線から20番線へと一気に数字が翔ぶ点は、この間にJR東海の東海道新幹線ホームが14番線~19番線の数字を使用しているため、東北新幹線ではキリが良い20番線~の数字にしたのだろう。
その現20・21番線は、元在来線9・10番線ホームの跡地に建設され、1997年10月1日の長野行新幹線(現・北陸新幹線)開業日から使用を開始した。ということで、こちらの20・21番線ホームの方が22・23番線ホームより新しい。
この20・21番線はプラットホーム上にゼロキロポイントがタイルで描かれている。
ところで、東北新幹線はこのゼロキロポイント以外に、各番線の線路上に十文字を描いた元標が設置されている。
■現22・23番線プラットホーム
現22・23番線ホームだが、1997年10月1日以前までは12・13番線を名乗っていた。このプラットホームにもゼロキロポイントがタイルで描かれている。
そして両番線には元標も設置されている。
東北新幹線23番線と東海道新幹線14番線には元標を設置している他に、この線路の間にもゼロキロポストが立っているので親切だ。
後篇ではJR東海の新幹線とJR東日本の地下ホームをメインにお届けしよう。
そういえば11番線は何処にある…
さて、ココまで読んできて、東京駅地上ホーム番線一連の中に過去番線も含めて11番線の数字がなかったことに疑問を持った方もいるのではないだろうか。アラフォー世代以上の人にはイマサラのネタとは思うが、あえて記させていただく。
東京駅11番線は回送・機回し線として存在していた。
いわゆるプラットホームがない線路にも番線数字が振られていたわけだ。
しかし、この11番線は、1988年3月13日「一本列島」ダイヤ改正を前に廃止された。
余談になるが、11番線の使用方法は、筆者の記憶によるので勘違いもあるかもしれないが、1970年代初頭頃は、朝には九州方面などから上ってきた客レをホーム到着後一旦北方(現・上野東京ライン部分)に引き上げて機回し後この11番線を通って品川客車区(当時)へ回送、夕方には品川客車区(当時)からきた回送客車はこの11番線を通って北方(現・上野東京ライン部分)へ引き上げて機回し後に出発番線ホームへ入線して九州方面などへと出発していった。
だが、いつの頃からかは覚えていないが、下り客レ(ブルートレイン)の場合は1本後の客レを牽引する機関車が回送客車を品川客車区(当時)から牽引してきて、客車はホームに残し機関車のみ切り離され神田方へ引き上げ、その後に1本前の回送客車を牽引してきていて、その1本前の客レ(ブルートレイン)発車後に11番線(?)を通り機回し(回送?)して新橋方に引き上げていた機関車をこの客車の前へと連結、この客レ(ブルートレイン)が出発後に先ほどの神田方に引き上げていた機関車を新橋方へ機回し(回送?)といった作業を順繰りで繰り返し。上りブルートレインの場合はこの逆の作業を繰り返していた。
ところで、この方式だと機関車が1両たりなくなるが、晩は1本目のブルートレイン発車前に、朝は1本目のブルートレイン到着前に、1両が東京機関区(当時)からやってきて新橋方引き上げ線に待機していた。
後者の順繰りの事例の機回しでは、11番線を使用していたかは記憶にないので、その点をハッキリ書かなかったのも申し訳ない(汗)。
そして、このようなパズルみたいなことを文字だけで表現するのは難しい。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。