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[場所]JR関西本線 大和路線区間
JRおおさか東線は201系電車により営業運転されているが、2022年3月11日(金)限りで同線の運用から外れ、翌日12日(土)に221系に置き換えられる。
これによって、201系はJR関西本線の大和路線区間(以後「大和路線」と表記)のみでの運行になり、ある意味レア線区となる。
201系が2022年3月11日おおさか東線から撤退
上記のニュースは、すでに各方面のメディアにて報じられているので、ご存知の方は多いと思う。
まずは、おおさか東線で撤退間近の活躍をする201系の姿からお伝えしよう。
さて、201系はまだ大和路線では運行されるので稀少車輛とは言えないが、201系の「新大阪」の行先表示は3月11日にて見納めとなる。
上写真は新大阪駅での撮影のため「久宝寺」の行先表示を出しているが、すると「新大阪」の行先表示を撮るためには 久宝寺-南吹田 間でとなるだろう。
ところで201系の行先表示だが、シャッタースピード1/80s以下でないと文字全体が写らないので、日中の屋外での撮影では案外と苦労する。そのような訳で夜を待ってスローシャッターで撮ったのが下の写真になる。
■おおさか東線の201系と大和路線の201系の並びも見納め
おおさか東線と大和路線との乗り換え駅の久宝寺駅では、両線の201系同士が並ぶことがある。ただしコレも2022年3月11日限りで見納めとなる。筆者が同駅に居た時にタマタマ並んでくれたので、その写真も載せておこう。
久宝寺駅には、2022年3月12日(土)以後の221系化された おおさか東線 への誤乗防止のための注意喚起を促したポスターが貼られていた。
鉄道旅をしながら、このような地域限定の掲示を見つけると案外と楽しい気持ちになれるモノだ。
■201系電車とは・・・
当サイトの読者の方にはイマ更ネタだとは思うが(笑)、ココで201系のことをサラッと記しておこう。
201系は日本国有鉄道が「省エネ電車」として電機子チョッパ(サイリスタチョッパ)制御を初めて採用した通勤型電車で、1979年に試作車が登場、1981年に量産が開始され、まずは中央東線快速線系統に投入、さらに中央総武緩行線・東海道山陽京阪神電車線に投入された。
1,018両を製造して、その後首都圏では武蔵野線でも運行されている。
JR化後は、JR東日本では794両が継承され、京葉線にても運行。
JR西日本では224両が継承され、福知山線・大阪環状線・関西本線(大和路線)にても運行。2008年に開業したおおさか東線にも投入された。
JR東日本の201系は2011年6月に運用離脱により引退。
JR西日本の201系は2022年3月11日限りでおおさか東線の運用から撤退するため、3月12日よりは大和路線だけが201系の運行線区になる。
201系を営業運転する唯一の路線
当サイト鉄道 旅のガイドは「鉄道が主役の旅スタイル」の紹介がテーマなので、原則アップ日時点で存在している物件(おおさか東線ネタはギリギリ間に合っている。汗)、もしくはこれから起こる物事のお知らせに留めているので、ある意味ココからの項が記事の本篇になる。
と、能書きはこれくらいにして、大和路線で活躍する201系の姿を見ていこう。
大和路線には201系のJR難波駅発着の「快速」が運行されている。それが下の写真だが、走行シーンなのでシャッタースピードを速くしたら、案の定、表示は写っていなかった(笑)。
こぅして眺めていると、大和路線では201系がまだまだ頻繁に運行しているように見えるが、実はコチラも2023年度中に221系へ置き換えの予定が発せられている。
https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/02/page_15645.html
しかし、まだ2年あると思うことなかれ。それは大和路線の場合には221系が順次投入され、201系は逐一引退して、おおさか東線のように一気に置き換えられるとは思えないので、特に発表がされないうちに、いつのまにかほとんど置き換わっている状況も想像できるからにほかならない。
あくまで予想ではあるが、大和路線の201系をまともに撮影できるのは来年の夏いっぱいくらいなのではないだろうか。
過去記事の宣伝になるが、2019年4月17日アップの「元103系1000番台置き換え」のニュースで新車投入完了時期はほぼ当てている。とはいえ言い訳として、その後に予備車が約1年半も生き延びた嬉しい誤報の前歴(笑)があるので、この筆者の予想は信じない方がよいだろうと思われる(苦笑)。知らんけど。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。