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[場所]養老鉄道養老線 大垣駅
岐阜県の養老鉄道は、昨年2019年に東急電鉄から7700系を大量に購入して話題になったのが記憶に新しい。さて、そんな同鉄道がJR東海道本線と接続しているターミナルの大垣駅はスイッチバックの頭端式ホームなことは、ご存知の方は多いだろう。ところで、この大垣駅だが、その線路端にある車止めに「バッファー」が取り付けられているという噂を耳にしたので、訪ねてみた。
上の写真の中でバッフアーは、連環連結器の両脇に取り付けられている円盤状のパーツで、緩衝器の役目をする。コレは連環連結器などのリンク式連結器は牽引力の伝達はできるが推進力を伝達することができないために装着されたモノ。日本での現役車輛には大正時代末期に自動連結器へ一斉取り替えが為される以前まで使用されていた。現在、他の現役バッフアーとしては、遊具扱いではあるが愛知県犬山市の博物館明治村のSL&客車のネジ式連結器の緩衝器として、見ることができる。
ということで、バッファーは車輛に取り付けられているパーツで、それが地上設備にどのようなスタイルで使用されているのか? そんな疑問を抱きながら養老鉄道大垣駅の改札口を通り、そして入ってスグ右側の、いわゆる2番線の線路端で目にしたのが下の写真の車止めだ。
確かにコレはバッファーだ。
ならばココにバッファーが何時から取り付けられているのか? 改札口にいた駅員氏に訊いてみた。しかし答えは「昔からあったので解らない。」との返事。
まぁ考えてみれば、養老鉄道大垣駅は、1913年(大正2年)7月に初代・養老鉄道の駅として開業して以後→揖斐川電気→養老電気鉄道→伊勢電気鉄道→養老電鉄→参宮急行電鉄→関西急行鉄道→近畿日本鉄道→現・養老鉄道の駅と数多の変遷を辿っているので、この車止めが設置された当時を知る(語りつないでいる)人が居ないのも当たり前といえば当然だろう。
では、バッフアーの車止めを、一般人が立ち入れる範囲内でグルリと眺めていこう。
2番線の隣の線路は機回し線!?
上の写真を撮って気が付いたのだが、2番線の右隣の線路は、もっと右の線路群とは違い機回し線ではないか?ということ。そんなわけで、プラットホームを2番線に添って線路を見ながら歩いてみた。
どう見ても機回し線に思える。
現・養老鉄道には、近鉄養老線時代の1986年10月まで定期貨物列車が走っていた。その荷はセメントだが、発駅は樽見鉄道本巣駅で、大垣駅で受け渡しの後、桑名駅の北方500mほどの地点にあった東方駅(現・東方信号場)まで送られていた。機回し線はその名残かとも思ったが、それにしては、機回し線車止め側の分岐器のレールが撤去されてからの枕木の朽ち方が、連絡線跡と比べるとスゴイのと、その連絡線の渡りの向きがココで機回ししていたなら逆なので、当時の貨物列車時代にはこの機回し線はすでに使用されていなかったのかも知れない。何はともあれ、このような線路跡を見ていると謎は尽きない。
現在、養老鉄道の線路は、他の1,067mmゲージの鉄道とはつながっていない。ただし先述の東方信号場において1,435mmの仮台車に履き替えられる桑名台車交換所が設置されているので、養老線の元・近鉄車については、定期検査で近鉄塩浜検修車庫へ入出場できるようになっている。
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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。