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[場所]JR弥彦線 弥彦駅
直接吊(ちょう)架方式電車線 とは、JR(元・国鉄)の場合、シンプルカテナリーから吊架線を除き支持点(ビームに吊っている碍子部分)から2本の吊りロットによりトロリ線を吊架する方式のことで、新潟県のJR弥彦線一部区間は同県内のJR越後線の一部区間と共に国鉄時代の1984年4月8日にこの方式で電化開業している。さて、その区間内で唯一の終着駅である弥彦駅では、直接吊架方式電車線 がどのような終端構造になっているのか気になったので眺めてきた。
JR弥彦線の吉田駅より弥彦方での 直接吊架方式電車線 へシンプルカテナリーから切り替わる部分は吉田駅を出て1.6km付近で、次の矢作駅からだと1.1kmくらい吉田寄り、水田地帯の中を抜く直線区間にあるため前面やリアから眺めていても見付けやすい。ちなみに、同線には燕三条-吉田 間にも 直接吊架方式電車線 が一部区間にある点を申し添えておく。
なおJR線の 直接吊架方式電車線 は上記の他に旅客営業路線としては、1984年10月1日に電化完成したJR和歌山線 五条-和歌山 間、1987年3月23日に電化完成したJR土讃線 多度津-琴平 間の大部分に採用されている。また、JR境線 米子-後藤 間も同じ電化方式が採用されており、ここの電化完成は1982年6月と時期はこちらの方が早いが、内情は米子-国鉄後藤工場(当時)間の回送列車が主で、旅客営業運転に本格的に採用されたのはJR弥彦線・JR越後線が初であり、さらに後藤駅には引上げ線の終端部分もあるが、そこは終着駅の終端部分ではないので、まずは弥彦駅を紹介させていただくことにした。
弥彦駅は一見終点っぽいが実は弥彦線の起点駅
弥彦駅は1面1線の終端駅で、プラットホームは現在の運行列車の編成両数とくらべるとかなり長く、車止め側に立つ停止位置目標にある数字「6」からすると6両編成までは停まれる長さがあると考えられる。また、プラットホーム幅も広く、かつて賑わった駅であろうことが想像できる。
それもそのはずで、実は弥彦駅は、越後一宮の彌彦神社への参詣鉄道としてこの駅を起点に私鉄の越後鉄道により建設された路線で、1927年(昭和2年)10月1日に国有化された以後は国有鉄道の路線としては珍しい「他線と接続していない起点駅」を有する線区になり、JR線になってもその地位を保っている。ちなみに、起点駅は終点駅の対語で「終着駅」とは別の意になる。なお、JR九州には同様の起点駅が数駅あるが、その一つ 筑豊本線若松駅 を当サイト2018年10月22日アップで紹介している。
さて、プラットホームから線路終端方向を望むと、車止めの先には架線の終端部に立つ架線柱が窺える。
JR弥彦線・JR越後線の 直接吊架方式電車線 区間の特長として、架線柱がH型鋼を使用している点にあることを5枚上の写真のキャプション中で記したが、終端部に立つ架線柱もご多聞に洩れずH型鋼になっているのが潔いと思える。
また、饋(き)電線は1本前の架線柱で途切れているのも窺えて、架線or電化方式など電車線好きの方なら、プラットホームから車止めの方向を眺めているだけでも、まず楽しめるのではないだろうか。
では、プラットホームからラッチを抜けて車止め辺りを眺めに行ってみよう。
弥彦駅の駅舎は1916年(大正5年)の弥彦線開通当時からのもので、何度かのリニューアル工事により旧さは感じないが、それが却って奏功してか、1995年に「ふるさとの駅100選」に選出されている。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
※参考文献:「電車線の直接ちょう架方式とは-」鉄道ピクトリアル(鉄道図書刊行会)1984年7月号No.434
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。