駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(8)  東京都・東京駅

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[場所]JR東海道本線など 東京駅

駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです

とにかく沢山の路線の起点である 東京駅 だが、タイトルの[場所]では「JR東海道本線」を代表に据えさせていただいた。
さて、そんな 東京駅 は、丸の内側の 赤レンガ駅舎 が戦災で一部焼失していたが、2012年10月1日に復原工事が完了して1914年(大正3年)に創建された当時の姿をほぼ取り戻し、2017年12月7日には丸の内駅前広場が全面オープンして、東京の玄関口駅舎が完成した。
なお、この 赤レンガ駅舎 は2003年に国の重要文化財に指定されており、すでにそれ自体がいわば鉄道界のモニュメントなのだが、東京駅にはそれ以外にも鉄道に関わるオブジェやモニュメントがあるので、このタイミングでそれらを紹介していこう。

丸の内南口側そばに建つKITTE6階屋上庭園からの 赤レンガ駅舎 の眺めで、車輛は手前2編成が山手線231系、奥は常磐線行531系。ちなみにタイトル写真は新丸ビル7階テラスからの眺め。
丸の内駅前広場の一角に立てられている 赤レンガ駅舎 復原工事の概要を示したプレート。これの近くには 赤レンガ駅舎 の見どころを記したプレートもある。

まずは東海道新幹線から

東京駅は、東海道新幹線部分がJR東海の管轄で、これ以外の部分はJR東日本の管轄と、分離されていることは皆さんご存知だろう。
というわけで、東京駅にはJRの駅長が2人いることは有名な話しだが、これはJR東日本とJR東海の双方に配置されているためで、似たケースとしては、品川駅・小田原駅・熱海駅・米原駅・京都駅・新大阪駅・小倉駅にもJRの駅長が2人いる。ちなみに東京駅にはもう1人、東京メトロの駅長がいるが、そのような数え方をすると、駅長がもっといる駅もあるのと今回の本題からは逸脱してしまうのでこれは約めて、ではまずJR東海の管轄部分にある東海道新幹線開業絡みのモニュメントから眺めていくとしよう。

東京駅の東海道新幹線18・19番線プラットホーム新大阪寄り端に1973年に建てられた、「新幹線の生みの親」といわれている 十河信二第4代国鉄総裁を顕彰する「一花開天下春」の碑。左上が十河氏の顔のレリーフで、右下の文字は右から読む。
裏にはプレートが埋め込まれていて、上から「新幹線 開業」「東京-新大阪 1964・10 552.6km」「新大阪-岡山 1972・3 180.3km」「岡山-博多 1975・3 443.6km」「鉄道百年 1972・10・14 日本国有鉄道」と記されている。まだスペースが空いているが、そこには何かが入るのだろうか。
東海道新幹線中央のりかえ口から入った通路突き当たり、18・19番線プラットホームへ至る階段の上り口近くの壁面に掲げられている「東海道新幹線 この…完成された」のプレート。1964年10月1日の東海道新幹線開業日にここに設置されたもの。

在来線ラッチ内を見ていこう

在来線側はJR東日本の管轄になる。その5・6番線プラットホームには以前、東京駅開業時から100年屋根を支え続けた鋳鉄製の柱が14本残っていたが、2014年6月中旬~2015年3月の屋根改良工事完了後に撤去されてしまった。しかし、そのうちの2本が同プラットホーム有楽町寄りにモニュメントとして保存されている。

在来線5・6番線プラットホーム 京浜東北線南行側に保存されている東京駅の屋根を100年間支え続けた柱。車輛は京浜東北線233系。
上写真の柱の左脇に立てられた説明板のアップ。ぴったり100年現役だったことを伝えている。
柱下の浮出文字によると、柱が鋳造されたのは東京駅開業よりもさらに6年昔の「明治41年」なことが判る。
在来線5・6番線プラットホーム 山手線外回り側に保存されている東京駅の屋根を100年間支え続けた柱。車輛は山手線231系。
丸の内中央口の改札内脇に、赤レンガ駅舎のドーム屋根を冠した郵便ポスト「東京駅型ポスト」がある。このポストはただのオブジェではなく、なんとココへ郵便物を投函すると、風景入通信日付印を押印してくれる特別のポストで、2012年10月2日に設置され、風景印は2012年10月24日からサービスを開始したもの。なお、年賀郵便物引受期間中などには当該サービスを中断する場合もあるとのことなので、注意が必要だ。

東京駅型ポスト は丸の内中央口のラッチを入ってすぐ左(北)側にある。ご覧の向きからしてラッチ外から投函することはできない。
赤レンガ駅舎のドーム屋根の冠は裏(外)側もちゃんと造作されている。
右下が風景入通信日付印のイメージ。赤レンガ駅舎の南口とKITTEビルが配されている。

丸の内側のラッチ外にも注目モニュメント

丸の内地下中央口と地下南口の間にある 動輪の広場 には、その名の通りC62形SL C62 15号機の左側動輪1組3輪が展示されている。見どころはメインロッドとサイドロッド、リターンクランクが取り付けられている点を挙げられるが、片側3輪のみの展示なのもかなりレアなのではないだろうか。

動輪の広場は地上から訪れようとすると、案外解りづらい所にある。説明が難しいので行き方をあえて省略してしまう点にご理解いただきたい。
左上には「C62 15」のナンバープレートも掲出されている。ちなみにこちらが東側。
動輪は片側のみのため裏側を見ることができるのが楽しい。
上々写真の右の柱に掲げられている C62 15号機 を解説したプレート。1972年7月15日の総武快速線(当時)開通の日にここへ設置されたことを伝えている。
こちらは左側の柱の上部に掲げられたプレート。総武快速線(当時)地下ホームの完成を讃えている。
行幸通りの下にある丸の内地下中央口と東京メトロ二重橋前(丸の内)駅を結ぶ地下道に「行幸地下ギャラリー」という全長220mのガラスショーケースが設置されており、常設展示として「世界の鉄道」をテーマとした36枚の写真が展示されているので、近くにお出掛けの際にはぜひ立ち寄ることをお勧めしたい。ただし、イベントや特別展があった場合には他の展示物になっていることがあるため、訪ねる時には事前に行幸ギャラリーHPなどで確認しておくことは必要だろう。

「世界の鉄道」は常設展示ではあるが、イベントなどがあると他の展示になることがあるので、訪れる時には http://www.gyokochika.com/ をチェックして頂きたい。
あと、鉄道系のモニュメントではないが、記憶にとどめておきたい場所が2ケ所ある。それは「原首相遭難現場」と「浜口首相遭難現場」で、ともに床には現場を示す点鋲が埋められていて、至近に解説文を添えたプレートが掲示されているので見付けやすい。ただ本記事では、浜口首相の方は周囲が工事により日々変化しているため、プレートのみの掲載に留めさせていただく。
なお、0キロポスト関係はまた別の機会に前篇後篇に分けて紹介したいと考えている。

「原首相遭難現場」は丸の内南口のラッチ外自動券売機左脇にあって、その場所を示した点鋲が床に打たれている。
「原首相遭難現場」の場所を伝えたプレート。点鋲の上方にある。
「浜口首相遭難現場」の場所を伝えたプレート。在来線ラッチ内8番線~9番線の下にあたる中央口通路と北口通路を結ぶ南北の通路の 駅弁屋踊(2018年4月1日閉店) の対面側にあって、点鋲はそのプレートから東北東数mの位置にある。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。