鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] 東武日光線 新栃木駅 西北西約2km
高架化に際して取り壊されるはずだった旧 木造駅舎
東武日光線 栃木駅が2000年5月に高架化され、JR両毛線 栃木駅は2003年4月に高架化されて栃木駅の立体化が完成しているが、その際に北口にあった木造駅舎の旧 栃木駅舎は役目を終えて取り壊されるはずだった。それが、2004年7月に栃木市総合運動公園近くに移設されることになり、同年7月31日に完了。現在は自動車博物館『魔方陣スーパーカーミュージアム』のエントランスとして使用されている。
この旧木造駅舎は、1928年(昭和3年)の省線両毛線の駅舎として北口に完成し、翌年の1929年4月には東武日光線の杉戸-新鹿沼 間が開通したが、その後も北口の玄関として鎮座していた。
その後、栃木市のシンボルとして永きに渡り市民に親しまれてきたが、2001年(平成13年)2月に栃木市より「駅周辺の高架事業に伴い旧駅舎の将来に渡っての保存が危ぶまれる」との発表がなされたが、この以降、保存を望む署名運動が起こり、約4,700名の署名が集まった。これが移設事業の大きな原動力となったとのこと。
移設にあたっては「生まれ変わった駅舎を是非もう一度、未来に向けて活躍させたい」との思いから『魔方陣スーパーカーミュージアム』を併設したそうだ。
また、同敷地内にある鉄道関連の展示物としては『吾一の鉄橋』を模したモニュメントがある。これは栃木市にゆかりのある山本有三先生(1887年-1974年)の小説作品“路傍の石”で主人公がぶら下がった鉄橋を再現しているとのこと。近くにはその文学石碑も建立されており、それには“路傍の石”から文学博士 高橋健二氏が選定した一節が刻まれている。その碑文は鉄道とは関係ないが、せっかくなので以下に記しておこう。
「たった一人しかない自分を
たった一度しかない一生を
ほんとうに生かさなかったら
人間 生まれてきたかいがないじゃないか」
鉄道関連の展示物としては、『魔方陣スーパーカーミュージアム』内の有料入場区域に、かつてお座敷列車“やすらぎ”編成の1両として活躍したオロ12855『吾妻』のカットボディが置かれ、喫茶スペースとして使用されている。ただし、筆者がこの『旧 栃木駅舎』を訪ねたのが開館時間前だったため、『魔方陣スーパーカーミュージアム』には入場していないので、その写真はない。実のところ自身が別件の用事で近くにきたため、せっかくなのでその前に立ち寄ったという個人的な行動の都合上により掲載できないのがとても申し訳ないので、敷地内にあったもうひとつの石碑の写真を掲載しておこう。
鉄道利用で訪れるには駅からやや遠いが、東北自動車道 栃木インターからは程近いので、クルマ利用の撮りテツなどの途中で立ち寄るには丁度良い場所かも知れない。
- 開館時間
- 10時~17時(最終入館は16時30分まで)
- 開館日
- 駅舎・吾一の鉄橋 → 平日木曜以外毎日
- ミュージアム → 金・土・日・祝日のみ開館
- (年末年始は全館休館)
- ミュージアム入館料
- 大人800円・小学生以下300円・5歳以下無料
- 駅舎・吾一の鉄橋は入場無料
- 運営
- NPO法人 ToSCA(トスカ)
- 場所
- 〒328-0124 栃木県栃木市野中町553
- TEL
- 0282-20-5521
- URL
- http://www.mahoujin-lp400.jp
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。