鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR武豊線 半田駅
建設当時から同じ場所にあって現在も使用されている駅跨線橋として日本一古いモノはJR武豊線の半田駅にある。
ちなみに移設された跨線橋を含めると、1890年(明治23年)製のJR山陰本線 大田市駅のモノが日本最古の跨線橋になるため、タイトルではこの表現になっている。
半田駅の跨線橋は1910年(明治43年)11月に竣工したもので、その後、2015年3月1日完成の武豊線全線電化に際して、その処遇がどうなるか注目されていたが、幸いにも生き延びた。
ということで、この跨線橋の電化後の姿を眺めに訪ねてみた。
現在の路線図から察すると、武豊線は東海道本線 大府駅から分岐する支線のように見えるが、実は愛知県内では初めて建設された鉄道の一部になるという歴史ある路線。
そもそも武豊線は、明治政府により東京-京都 間を結ぶ中山道鉄道建設計画が発表された流れで、武豊港に建設資材の基地を設け、その輸送を目的として、1886年3月1日に熱田-武豊 間が官設鉄道により開通したことに端を発する。
その後の同年7月19日に、東京-名古屋 間のルートは東海道経由に変更され大府-熱田 間が現・東海道本線に組み込まれて、1888年11月21日に浜松-大府 間が開通すると大府-武豊 間は東海道線の支線となり、1909年(明治42年)10月12日付け鉄道院の告示により武豊線となった。
そしてこの跨線橋はその翌年に完成している。
それでは、この跨線橋がどんなモノなのか、眺めていくことにしよう。
電化完成後も建設当時と同じ場所において現役で使用され続けている跨線橋は、鋳鉄製の柱に浮き文字があったりと、眺めていても飽きない構造物といえるだろう。
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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。