世界遺産 長崎県・高島炭鉱1983年の想い出

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]長崎汽船 高島港ターミナル
2015年7月5日に世界遺産の文化遺産として『明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業』が登録された中のエリア6に含まれている一つに長崎県の高島炭鉱がある。しかしこの島の炭鉱関連施設のほとんどは1986年(昭和61年)11月27日の閉山後に撤去されてしまい、全盛期の面影が全くといってよいほど残っていない。
そのため、高島を訪れた方が閉山前の稼働していた頃へと思いを馳せる役に立てれたらと思い、1983年に撮影した過去写真で当時を振り返っていこう。

当サイトは「旅のガイド」を名乗っている以上、本来なら掲載時点においては現存もしくは形として残っている名所旧蹟や施設または施設跡・イベント・グッズなどを紹介するのが筋なのだろうが、上記の理由により過去写真をあえて紹介させていただいた点をお許し願いたい。

タイトル写真は選炭場の建物の西側脇から南向きに撮ったアングルだが、その手前、北方向に戻った場所から南向きに撮ったのがこの写真。現在の位置でいえば二子にある『高島ふれあい多目的運動公園運動広場』の北西の角辺り。正面の丘は下二子島で、その向こうに立つ煙突は発電所のもの。まずはこの位置関係を頭に入れてほしい。
タイトル写真は選炭場の建物の西側脇から南向きに撮ったアングルだが、その手前、北方向に戻った場所から南向きに撮ったのがこの写真。現在の位置でいえば二子にある『高島ふれあい多目的運動公園運動広場』の北西の角辺り。正面の丘は下二子島で、その向こうに立つ煙突は発電所のもの。まずはこの位置関係を頭に入れてほしい。

高島炭鉱は江戸時代の19世紀はじめ頃から石炭が採掘されていたが、明治維新後の1869年(明治2年)4月に日本初の洋式竪坑である『北渓井坑跡』が開坑し、その跡が国指定史跡として整備されており、また1870年開削着手の南洋井坑にその後に設けられた排気坑である『南洋井坑 排気坑跡』、1874年開坑の『尾浜坑 坑口跡』などの明治の遺構は残っている。また1986年にオープンした『高島石炭資料館』では展示物で過去を偲ぶことができる。
ところが近代的炭鉱へとつながる、1901年(明治34年)3月に開削着手されて翌年12月に採炭を開始した島南西部の蛎瀬坑や、明治末期には島南部の二子島付近の埋め立てが開始されて、1907年(明治40年)7月12日に開坑式が挙行され翌日より開削に着手された二子坑などの方は、その後に設備が着々と拡大されていき、高島炭鉱として1966年(昭和41年)には採炭量年間およそ153万9,600トンのピークを迎えて、戦後復興や高度経済成長を支えてきたにも関らず、先にも記したように1986年11月の閉山後にその構築物はほとんど撤去されてしまった。
ほぼ同じ歴史がある隣の端島(軍艦島)が、1974年(昭和49年)1月15日の閉山後に無人島になった後も構築物がかなり残ったのもあってか、2009年4月22日に上陸解禁となった後はツアー観光地として人気を博しているのに較べ、高島炭鉱は1986年11月27日まで稼行していた上に、長崎港からの定期船航路があり自由に渡ることができるのだが、遺構めぐりとしては何かパッとしないのは、やはり最盛期の地上大型構築物が一切残っていないからとも考えられるのではなかろうか。

タイトル写真の位置から奥の南方向に進んで、南向きに撮った写真。上写真のずっと奥ということになる。
タイトル写真の位置から奥の南方向に進んで、南向きに撮った写真。上写真のずっと奥ということになる。

タイトル写真の中央の建物と奥の建物の中間付近から左手東側を撮った写真。この中には写っていないが、写真右の画面外に回転式ホッパーがある。
タイトル写真の中央の建物と奥の建物の中間付近から左手東側を撮った写真。この中には写っていないが、写真右の画面外に回転式ホッパーがある。
3枚上の写真の地点からさらに少し北側に戻った位置から東側を眺めたアングル。線路は右手に行けば上の一連の写真の地点へ、手前に行けば下写真のズリ捨て線、そして奥に進めば2枚下からの坑木置き場へと続いている。左の円筒形の構築物は貯炭場で、右正面の大きな建物は選炭場だ。
3枚上の写真の地点からさらに少し北側に戻った位置から東側を眺めたアングル。線路は右手に行けば上の一連の写真の地点へ、手前に行けば下写真のズリ捨て線、そして奥に進めば2枚下からの坑木置き場へと続いている。左の円筒形の構築物は貯炭場で、右正面の大きな建物は選炭場だ。
上写真の地点から180゜反対側を向いて少し進むと、このズリ捨て場がある。黄色いロコのNo.5は北陸重機製6tディーゼル機。
上写真の地点から180゜反対側を向いて少し進むと、このズリ捨て場がある。黄色いロコのNo.5は北陸重機製6tディーゼル機。
2枚上の写真の奥へ進んだ線路が建物の間を抜けた先がここ。西向きのアングルで、撮影者の背中側が海になる。キャブが緑色のロコのNo.3は加藤製ディーゼル機。
2枚上の写真の奥へ進んだ線路が建物の間を抜けた先がここ。西向きのアングルで、撮影者の背中側が海になる。キャブが緑色のロコのNo.3は加藤製ディーゼル機。
上写真の地点から右手に少し行き、線路を渡った地点から南東向きに撮った写真。撮影者の背中側に上二子島の丘が聳えており、現在高島浄化センターがあるあたりになる。海の向こうに連なる山々は長崎半島だ。
上写真の地点から右手に少し行き、線路を渡った地点から南東向きに撮った写真。撮影者の背中側に上二子島の丘が聳えており、現在高島浄化センターがあるあたりになる。海の向こうに連なる山々は長崎半島だ。
上写真の地点から線路に出て左手北西方向を眺めたアングル。写真左の画面外に上二子島の丘がある。
上写真の地点から線路に出て左手北西方向を眺めたアングル。写真左の画面外に上二子島の丘がある。
3枚上の写真の地点から左手南西向きに撮った写真。右上の大きな建物は選炭場で、タイトル写真などとは選炭場の反対側になる。
3枚上の写真の地点から左手南西向きに撮った写真。右上の大きな建物は選炭場で、タイトル写真などとは選炭場の反対側になる。
上写真の先にさらに進んだ地点から南西向きに撮った写真。左の丘は下二子島で、その向こうの煙突は発電所のもの。
上写真の先にさらに進んだ地点から南西向きに撮った写真。左の丘は下二子島で、その向こうの煙突は発電所のもの。
上写真のさらに奥の地点から南向きに撮った写真。支保に使用する鉄枠があちらこちらに積まれ、それが様々な形をしているのが解る。キャブが茶色のロコのNo.2は加藤製ディーゼル機。『在りし日の鉱山軌道カレンダー2016』で使用している写真は同じアングルながら別の写真だ。
上写真のさらに奥の地点から南向きに撮った写真。支保に使用する鉄枠があちらこちらに積まれ、それが様々な形をしているのが解る。キャブが茶色のロコのNo.2は加藤製ディーゼル機。『在りし日の鉱山軌道カレンダー2016』で使用している写真は同じアングルながら別の写真だ。

記者が高島炭鉱を1983年に訪れた理由は、ここに敷かれていた610mmゲージの軌道とそこで活躍するトロッコ車輛を撮影したいがためだ。
当時、長崎港から高島港までは船で1時間弱と、今より時間は掛かったが、それでも九州本島からは日帰りできる距離だった。
高島に着くと、事務所を訪ねて撮影許可を願い出て「地上部のみなら」という約束で、すぐに許可がもらえた。突然の訪問にも関らず、快く許可をもらえたことに感謝するとともに、いまになって思い返すと、アポなしの外来者に対しても寛大な、まだまだ良き時代だったと感慨深いものがある。
写真的には、地上設備の撮影が目的なので、炭鉱に従事していた方からすれば「上ツラだけの画像」に見えてしまいそうだが、それが却って「どこに何があったかの記録としては丁度良かったのではなかろうか」と誠に勝手ながら思っている。
現地を訪れた際には、スマートフォンやタブレットで当ウェブに接続し、掲載写真と見比べて現場探索をすれば、廃坑めぐりの楽しみが増すのではないだろうか。

長崎港と高島港の間には長崎汽船株式会社によりコバルトクイーン号が1日9往復(2016年2月現在)運航されている。1983年当時より便数がはるかに多いのは嬉しい。
http://www.nomo.co.jp/kisen/queen/

また、「鉄道 旅のガイド」では、“明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業』”が2015年7月5日に世界遺産の文化遺産に登録されたのを祝して『在りし日の鉱山軌道カレンダー2016』を発売しているので、併せて見て戴けるとありがたい。

高島炭鉱
高島炭鉱

7枚上の写真のズリ捨て場から左手の西方向にさらに行くと海に出るので、そこから南を向くと端島(軍艦島)が遠望できる。
7枚上の写真のズリ捨て場から左手の西方向にさらに行くと海に出るので、そこから南を向くと端島(軍艦島)が遠望できる。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。



[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。