羽越本線の鉄道道路併用トンネル

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[場所]JR羽越本線 五十川-小波渡

JR羽越本線には「新五十川トンネル」なる1977年竣工の比較的新しい鉄道道路併用トンネルがある。
世に鉄道道路併用橋梁なら、北陸新幹線 芦原温泉-福井 間に架かる県道268号との併用橋「新九頭竜橋」や、長野電鉄 柳原-村山 間に架かる国道406号との併用橋「村山橋」などがあるし、路面電車の軌道まで含めれば全国にかなりの数の併用橋が存在している。ところが、現役の鉄道道路併用トンネルとなると、コレが日本ではかなり珍しいのではないだろうか?

鉄道道路併用橋梁の例。長野電鉄 柳原-村山 間の鉄道道路併用橋梁「村山橋」の柳原駅側橋門構。
長野電鉄 柳原-村山 間の鉄道道路併用橋梁「村山橋」の中からの村山駅方の眺め。
現役の鉄道道路併用トンネルは、筆者の知っている限りでは現役としては「新五十川トンネル」のみになる。
ちなみに、廃線になった鉄道道路併用トンネルとしては、小浜線 松尾寺駅から分岐していた専用線や、神奈川県横須賀の比与宇トンネルが挙げられるが、コチラは戦前の竣工で、新五十川トンネルとは趣がかなり異なっている。と、ここまで述べておきながら、このロケーションはデジカメでは撮っていないのと、フィルム時代の写真が発掘できなかったのでココでの掲載はない(汗)。

新五十川トンネルの最寄は五十川駅

タイトル回りの新五十川トンネルの[場所]欄では五十川-小波渡間と記したが、実際は五十川駅北東200mほどの場所に位置しており、ほぼ同駅の延長上にある感じに立地している。

羽越本線の上り線に建設された鉄道道路併用トンネル。電車は653系1000番台U106編成。
それでは、新五十川トンネルを訪ねてみよう。
行き方としては、五十川駅の出入口はまず海側にしかないので、そこを出たら国道7号の手前の2車線の道を右(北東)方へ進み約150m程の所にある橋の手前を右折、およそ150mくらいで羽越本線五十川橋梁をくぐったら、この先の右にある小道に入ると、その先60mほどの場所に、複線断面だが線路が1本と舗装道路が並んで抜けている新五十川トンネルの小波渡側坑門がある。

小波渡方から眺めた新五十川トンネルの坑門。
小波渡方の坑門を眺めると、線路と道路間に高低差があるので、それほど併用トンネルっぽさを感じさせないが、反対側五十川方は線路と道路の高低差がほとんどないので、コチラ側からなら如何にも鉄道道路併用トンネルなのだなということが判り易い。

五十川方から眺めた新五十川トンネルの坑門。
上写真の坑門左にあるトンネル標のアップ。
トンネル断面と鉄道車輌の大きさ比較。車輌はGV-E400系。
なお、鉄道道路併用トンネルになっているのは上り線のみで、下り線は同地点にはトンネルすらない。

下り線にトンネルはない。電車はその下り線を走りゆくE653系1000番台。
新五十川トンネルの供用を開始したのは1977年10月18日の 五十川-小波渡 間複線化による上り線側増設線路使用開始からになる。ところで、五十川駅-五十川橋梁 間では現在の下り線の、このさらに海側には旧線跡があり、元々複線分の用地があったけれども、コレより山側に新五十川トンネルをあえて建設している。これの工事については五十川駅構内の用地確保と思われる。と、まぁそこまでは何となく解るのだが、複線隧道断面のトンネルを掘ったトコロに謎は残る…。グーグルマップを見ても、新五十川トンネル~五十川橋梁 間のラインは、複線にするなら五十川橋梁の上り線橋梁はさらに上流(南東)方に架けなければ線がつながらないしで、始めから鉄道道路併用トンネルとして計画されたとしか考えられない。
ある意味では、鉄道珍風景といえるだろう。
羽越本線の同区間は、HB-E300系観光列車「海里」、E653系特急「いなほ」、GV-E400系普通列車がそれぞれの運用に就いて活躍している。そして日本海縦貫線の主レッドサンダーEF510形もその勇姿を魅せてくれる。

EF510形牽引の上り貨物列車。
同区間は日本海とそこに迫る山々が連なる、風光明美な車窓が続く名所であるが、上記のような日本の物流を担う重幹線の貫禄を合わせ持った路線なことも解らせてくれる。

■鉄道道路併用トンネルの中を眺める
この鉄道道路併用トンネルを抜けて解ったことがある。

鉄道道路併用トンネルの内部。奥が小波渡方。
それは、鉄道隧道には、当然一般人は立入禁止なので、普通には目にすることがないような覆工コンクリート壁には謎の刻印があるということ。そして、それを新五十川トンネルでは間近に眺められるということ。
なので、それらの刻印の写真を掲載していこう。

五十川方坑門間近の覆工コンクリート壁の山側刻印。
その左の刻印。
さらに左の刻印。
小波渡方坑門間近の刻印。
このような標記が何を意味しているのか? 筆者は実は解らない。鉄道土木とかをもっと知っていれば、こういう場面に出くわした場合に、それなりにあれこれ考察できて楽しめるんだろうな…とも言えそうな鉄道施設といえるだろう。
では、タイトルのHB-E300系観光列車「海里」を撮った同地点において、筆者のワキを「海里」が通り過ぎた後の後追いの写真にて本項の〆とさせていただこう。

五十川駅を通過するHB-E300系使用観光列車「海里」の後追い写真。タイトルの連続撮影でもある。右が日本海になる。
当サイトの読者ならお解りとは思うが、奥が新潟方で、右が日本海になる。

五十川からの帰路の話

羽越本線の笹川流れ~小波渡駅 間の駅近コンビニは鼠ヶ関駅&勝木駅くらいしかなく、同区間の駅前に降り立つと、いかにも昭和という感じの食料品店&酒屋といった店舗しかない日本海沿いの町の雰囲気の場所が多々ある。
五十川駅もそのような感じの駅前で、食料品店&酒屋が合わさった商店が1軒、日本海側に軒を向けて商いをしていた。

五十川駅前に建つ食料品店と酒屋を合わせたような商店。一桁国道7号沿道スグの場所でも、なんと付近に他の商店は見当たらない。
筆者は旅先にて、普通列車くらいしか停車しないような駅の駅前で、帰路などにこのような商店を見つけてしまうと、うっかり入ってしまうタイプなのだが、当たり外れのある中、この商店は正解であった。
お店の方は山形の酒に詳しく、いろいろな薀蓄を訊きながら、帰路に飲む酒を楽しく選ぶことができた。

上の商店で購入した、しぼりたて摩耶山「初孫」摩耶山発売20周年。このような酒を、旅の帰路に車窓を移りゆく景色を眺めながら、少しずつチビリチビリ飲むのが至福の時。右奥は日本海。
ココであえて酒の話をしたのは、羽越本線 五十川~間島(下りは村上) 間は、車窓西方に日本海が広がり、東には海岸段丘が連なる、重幹線の割にはそんな風光明美な車窓を楽しめる区間であり、その移りゆく景色を肴に、酒をチビリチビリが加われば、コレは一人鉄道旅の醍醐味といえなくもない。もちろん混雑時には控えます(汗)。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。


[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。