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かつてセメント輸送で賑わった東武鉄道佐野線の貨物拠点駅はイマ
[場所]東武鉄道佐野線 葛生駅
終着駅の駅ナカや駅近を訪ねる不定期シリーズです
東武鉄道葛生駅は佐野線の終着駅で、旅客ホーム1本と電留線2本(架線が張られている線のみカウント)を擁している。この葛生駅に筆者が初めて訪れたのは1974年で、旅客ホームが1本なのはイマと変わらないけれども、当時は、佐野線にセメントや骨材を輸送するための貨物列車が走っていた時代だったので、構内に広いヤードがあり、側線ではEL牽引の貨物列車が何本か発車を待っている貨物ターミナル駅らしい光景が眺められた。さらに現在の車止めから先には貨物線の線路が伸びていて、貨物列車的にはある意味中間駅でもあるという雰囲気の構内の駅だった。と、そんな昔を懐古するべく、いまの葛生駅を訪ねてみた。
さらには、駅近訪問で葛生駅から北に1.5kmほどのトコロにある嘉多山公園に保存展示されているSLと、せっかくなので街中に他の保存車があるかもと思い探訪も試みてきた、そのレポートになる。
■プラットホームが北側1本なのは昔日と変わらず
東武佐野線の電車に館林方から乗っていくと葛生駅には西側から進入する。プラットホームは左手(北側)に1本あり、この辺は昔と変わらない。この旅客ホームのある1番線のプラットホーム突端から20mほど先に車止めが設置されているのも昔と変わらない。
ところが右(南)に目をやると、かつて貨物ヤードだった場所は、手前に電留線2本と保線機械の留置線1本の計3線を残して、その先の広大な敷地にはソーラーパネルがズラリと並び、昔日の貨物ヤードの面影は全くない。
改札口の位置はホボ昔と変わらず、上写真でいうトコロの手前(西方)にあるので、ラッチ外に出るためには車止めと反対方向に歩くことになる。
■駅の西側から構内を眺める
葛生駅の駅舎は旅客ホーム西寄り(館林方)に建っていることは上述したが、この駅舎は2014年9月27日に使用を開始した建物で、かつて貨物列車が運行されていた頃の駅舎とは別モノになる。
だが、現在の駅舎は新たに建て替えられた建造物にはなるとはいえ、屋根などが先代駅舎に似せたデザインて造られていたりと、以前のイメージを崩さない配慮が成されているのが嬉しい。
この駅舎前を道路が横切っているのだが、この道を左(西)方へ50mほど進むと「佐第92号踏切道」があって、そこからは駅構内を東向きに眺めることができるので、まずココへ向かうことにする。
右の架線が張られていない線路は分岐器の転轍機が手動だったり、入れ替え信号機がなかったりで、やはり保線機械の留置線であることが想像できる。
なお同踏切は、いまでこそ渡る線路は単線だが、貨物ヤードがあった頃は複数の線路を渡る長い踏切であった。
■駅の東側を眺める
次は東側の車止め方へ向かうことにする。葛生駅の北側は駅構内に添った柵の外側に道が通っているので東方向へは行きやすい。やはり駅舎前を横切る道を右(東)方へ進むと、200mほどでまずは旅客ホームの1番線の車止めに辿り着ける。
そこからさらに50mほど進むと、電留線2本の車止めがある。
ここで線路は一旦途切れるのだが、ナゼかその先でまた線路が復活(笑)して、分岐器で1線になった直後、50mほど先の柵のトコロで線路が完結している。ある意味ココが現時点での終着駅としての線路終端になろうか。
現在はそのような終着駅の葛生駅だが、先述した通りかつてはココから東に東武会沢線という貨物専用線が4.6km(1985年12月1日に0.4km短縮)先の第三会沢駅まで伸びていた。葛生駅から0.8km地点には上白石貨物駅があって、この駅からはやはり貨物専用線の東武大叶線1.6kmと、日鉄羽鶴専用線6.2km、および隣接する住友セメント工場への専用線が分岐していた。
しかしそんな貨物専用線群であるが、このうち1986年10月21日に会沢線上白石-第三会沢間・大叶線と葛生駅の貨物扱いを廃止、1987年3月20日には隅田川-上白石間の貨物列車の運転を休止、そして同年10月1日に葛生-上白石間が廃止され、東武鉄道の貨物列車が葛生地区から消滅した。
その後は日鉄羽鶴専用線1つが残っていたけれども、1991年11月26日に線路は廃線となった。
■柵の先
1987年に葛生-上白石間が廃止され、さらに1991年の日鉄羽鶴専用線が廃線になったことによって先の線路はなくなったが、葛生地区の貨物専用線群の廃線跡はそれなりに残っている。
柵の先に伸びる廃線跡を、かつての頃を懐古して探訪したいトコロだが、葛生-上白石間に関しては、立ち入りがあまり好ましくないような雰囲気が漂っていたので、この先の廃線跡の写真は元・日鉄羽鶴専用線跡の道路との並行区間1枚の掲載のみに留めさせていただく。
ちなみに上写真の廃線跡の位置は、嘉多山公園へ東武30号SL保存展示機を見に行くルートの途中になる。
という流れで、この後は葛生の駅近の保存車輛探訪へ詣ることとしよう。
東武鉄道B3形30号SL
嘉多山公園は葛生駅の北約1.5kmほどの小高い丘の中腹にある。ここに「東武鉄道B3形30号SL」が静態保存展示されていることはそれなりに有名なので、ご存知の方も多いであろう。
この SLは、1966年6月に東武会沢線の電化が完了した、同年6月26日に引退したうちの1両で、上の説明板を読み解くと、同年11月に東武鉄道より寄贈していただいた機関車であることが判る。
この機関車はイングランド・マンチェスターのベイヤー・ピーコック社製1914年(大正3年)製造2B型テンダーSLで、東武鉄道では同型機6両を輸入している。その後の活躍などは上々写真の説明板を読んでいただけたらとお願いする。
ところで30号SLの保存地点周辺には石灰鉱山が点在している地勢的条件もあるのか、始めに訪問した昔から車体上面には白い粉が掛かったようになっていた。それでも保管場所に屋根が架けられているお蔭で保存状態はそれほどワルくはない。
住友セメント唐沢鉱山専用線10tDL13号機など
葛生駅から嘉多山公園へ向かう道のうち東寄りのルートを通った場合、途中の東側に佐野市葛生化石館というミュージアムがある。この入口対面の場所に「鉱山軌道(ガソリンカー)」の看板を掲げた保存車輛が展示されているので訪ねてみた。
この展示の説明板は「ガソリンカー」と銘打っているが、実はディーゼル機関車で、葛生の住友セメント唐沢鉱山専用線で活躍していた軌間762mmゲージの車輛たちになる。
まぁ上の説明板の下半分は展示車両のことを記しており、その中ではしっかりと「ディーゼル機関車」と「ガソリンカーの愛称で…」と書かれているのでガソリンカーはあくまで葛生町内での地元呼称なのだなと推察できるが…。
■日立製作所製10tディーゼル機関車13号機
ここの展示車輛が走っていた線路の軌間が762mmのナローゲージだったという点以外は、大体のことが上の説明板に記されているので、詳細は述べず、写真のキャプションのみに留めている点をお許し願いたい。
■3t積み鉱車
■人車
葛生化石館URL
https://www.city.sano.lg.jp/sp/kuzuukasekikan/
駒形石灰工業岩渕工場加藤5tディーゼル機関車
東武佐野線多田-葛生間の、葛生方から見て約400mほどの地点…秋山川を渡って国道293号を潜ったその先…現在ソーラーパネルが設置されている場所…にはその昔、山菅1号荷扱所があって、そこから軌間610mmゲージの貨物専用線が出ていて、北に600mほどの場所にある駒形石灰工業(株)岩渕工場まで伸びていた。
その専用線で使用されていたDLのうちの1両が現在、駒形石灰工業(株)岩渕工場内で静態保存されている。
このDLは加藤製作所1961年製5t機で、キレイに整備され保存されているのが嬉しくなってくる。
駒形石灰工業(株)岩渕工場には、もぉ1両の加藤製作所製DL3.5t機がいた。
このカマは現在、埼玉県鳩山町の「トロッコ公園銀河ステーション」に保存展示されている。
■グランビー鉱車
加藤製作所製5tDLの近くにはグランビー鉱車が2両保存されている。
山菅1号荷扱所-駒形石灰工業(株)岩渕工場間の専用線で使用されていたトロッコはセメント袋を運ぶための平トロだったので、ドコの鉱山からやってきたのか謎が残る訪問になった。
駒形石灰工業(株)岩渕工場の保存車輛は私企業の敷地内に保管されているため、撮影や見学をする際には事務所の許可を必ず得てからにしていただきたくお願いします。
それと、駒形石灰工業(株)の社長さんが「街建コラム」というウェブサイトにてインタビューを受けているとのこと。そのようなわけで、合わせて読んでいただけたら有りがたいです。
街建コラム「駒形石灰インタビュー《前編》」
https://machiken-pro.jp/shop/pages/column011.aspx
街建コラム「駒形石灰インタビュー《後編》」
https://machiken-pro.jp/shop/pages/column011-2.aspx
後編では「駒形石灰工業株式会社」HPへリンクできます。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。