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[場所]JR中央西線 倉本-上松
この記事は2015年5月7日アップの同タイトル記事の改訂版になる。ナゼ改めてアップし直したかというと、本記事は最近「よく読まれている記事」の上位にランクされていて、それは嬉しいのだが、実は元記事は筆者が当サイトを引き受けた当初のレポートなので、まだサイトの方向性や指針、スタイルが確立する前の模索状態だったため、線路が写っているにもかかわらず列車が入っていないという、恥ずかしい内容だったからだ。
ということで、改訂版と、せっかくなので近くに保存されている林鉄車輛のレポートなどを加筆させていただいた。
まずは元記事「寝覚の床」改訂版から
前回に続き、中央西線 倉本-上松 間にある、車窓から眺めることができる木曽八景をもう一つ。
倉本駅から上松寄りへ約5kmの地点にある寝覚ノ床がそれで、木曽川が刻んだ峡谷の河原に花崗岩の巨岩や奇石が居並ぶ壮大な景観が眺められる。長野県歌『信濃の国』の4番に「旅のやどりの寝覚の床」と登場しており、大正12年(1923年)には国の史跡名勝天然記念物にも指定されている。
■一度見つけると癖になる!?
列車の窓から容易く眺められる名勝ということで、一度その位置を覚えてしまうと、何度通っても眼が自然とその方向へ向いてしまうが、それは自分だけではないはずだ。場所は下り列車の場合車窓左側で、辺りが開けて木曽川が急に曲がっている地点にあり簡単に見つけることができよう。特急しなの号の車掌さんによっては案内放送をしてくれる人もいるというから、その列車にうまく遭遇できれば更に発見しやすい。
そもそもこの奇石群は木曽川の悠久の流れにより侵食されてできた自然地形ではあるが、かつては急流であった場所が、上流に設けられた木曽ダムが1968年に運用開始したことにより水位が下がったため、水底で侵食され続けていた部分も現在では水面上に現われたもので、岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方丈節理(割れ目)やポットホールを容易に眺めることができる貴重な場所でもある。
寝覚ノ床の名の由来は、案内板によると
「寝覚ノ床は、木曽八景随一の名勝であり、花崗岩の岩盤を木曽川の激流が長い間に水触して出来たものである。此処は浦島太郎の伝説があり、後日談ではあるが面白い。亀を助けて竜宮城へ行った話は広く知られているが、故郷に帰った太郎が、親兄弟は勿論、誰一人知る者がなく淋しさに耐えかねて旅に出た。たまたまこの美しい里に足を止めて、その景色が気に入り此処に住みついた。しかし竜宮の生活が忘れかね、今一度、乙姫さまに貰ってきた玉手箱を開けると、立ち上る白煙と共に白髪の翁となった。“ああ今までのことは夢であったか”と目が覚める想いであった。ということから、この里を“寝覚め”と言い、床を敷いたような岩を見て、人は“寝覚ノ床”と呼ぶ様になった。」
との伝説による。
さらに俳人正岡子規が明治24年(1891年)に著わした紀行文『かけはしの記』の中で
「誠やここは天然の庭園にて松青く水清くいずこの工匠が削り成せる岩石は峨々として高く低く或は凹みて渦をなし或は逼りて滝をなす。いか様仙人の住処とも覚えて尊し」
と感じ入った場所でもある。
寝覚ノ床の脇を通る時には、まだ中央西線がなかった頃の先人たちが旅した時代に想いを馳せるのも一つの楽しみ方かと思う。
■上松駅〜寝覚の床 間の旧道からの上松駅俯瞰
寝覚の床は現在、国道19号沿いにあるので大概の方はクルマで訪ねると思うが、筆者は普通電車で上松駅まで行き、そこから徒歩で訪れてみた。
上松駅前の通りを山側へ登り、途中の旧道(旧中山道ではない)を右折、南に1.5kmほどの所に寝覚の床へ通じるドライブインがある。
そのドライブインへ向かう道中だが、その途中に上松駅を俯瞰できるスポットがある。
ただし、ココにはクルマを停めるスペースはないので、あくまでも徒歩におけるスポットということを申し添えておく。
さて、この旧道の道中にトヨタライトバスのRK170Bが廃バスになって佇んでいる。個人(公共or法人以外の意)の所有かも知れないので詳細な場所と写真掲載は控えるが、かなり状態が良いということは記しておく。
寝覚の床美術公園駐車場奥の木曽森林鉄道ロコ
木曽森林鉄道のロコは全国各地に案外保存展示されていて、当サイトでも2018年1月17日アップ「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(5) 千葉県・津田沼駅」の中でも紹介しているほどである。
上松は木曽森林鉄道の王滝線と赤沢線系統の起点だったこともあって、やはりあった。というかまさに寝覚の床に隣接する寝覚の床美術公園の駐車場の奥に木曽森林鉄道の機関車が保存展示されている。
位置的には上のドライブインから南へ500mくらいの西側。
保存ロコはともに酒井製で、手前がNo.99昭和27年製5t機、奥がNo.120昭和32年製5t機になる。
この2両の詳細は他のサイトに譲るとして、それでは各ロコの外観を眺めていこう。
■No.99
■No.120
話はズレるが、上松町周辺各所にあるマンホール蓋は木曽森林鉄道の図柄がデザインされている。このような点からも上松にとって森林鉄道が掛け替えのない存在なことが窺われる。
上松駅裏手に保存展示の木曽森林鉄道車輛
前回の記事で、上松駅裏手(西側)に保存展示されている木曽森林鉄道車輛の写真を、駅プラットホームからのアングルでチョロッと掲載したが、この程はもっと近づいて詳細な写真をも撮ってみた。
なお、掲載写真は全て工場の敷地外から撮影していることを申しておく。
保存車輛は前(右)からNo.52酒井5tDL+運材台車+B形客車という編成を組んでいる。
酒井製DLなど、車輛の状態は上記の寝覚の床美術公園駐車場奥の保存機と異なり、かなり良い。
これらの車輛が保存されたのは、地元企業が「上松町の観光活性を願い、森林鉄道車が上松工場敷地内へ設置…」ということで、2015年3月に愛知県豊田市から上松へやってきたモノ。
この上松駅西側にて木曽森林鉄道の車輛を保存している企業の詳細は下記URLにて。
https://www.agematsudenshi.jp
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。