「新幹線の父」十河信二氏を讃えた記念館の隣を訪ねる…前篇

四国鉄道文化館・北館の部

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[場所]JR予讃本線 伊予西条駅

日本国有鉄道(国鉄)第4代総裁十河信二氏は「新幹線の父」と呼ばれている。
ナゼそように呼ばれているかは話しが長くなるので省略(気になった人は他を検索してくださいの意)するが、その氏の出生地が伊予西条の隣駅中萩駅がある愛媛県新居郡なのと、出身校である旧制中学の所在地が西条市という縁で、新幹線車輛を四国へ初上陸させ、伊予西条駅に隣接する十河信二記念館の先に建つ四国鉄道文化館 北館で保存展示されている。

西条駅1番線プラットホームから眺めた十河信二記念館。
ちなみにココで言う、四国へ初上陸の新幹線車輛とはキハ32 3のことではない(笑)。

JR四国の0系新幹線に見間違う(笑)ホビートレインことキハ32 3。予土線 吉野生
本物の東海道・山陽新幹線0系電車になる。ただし車体は途中でカットしてショーティー化されているが…。
なお、四国鉄道文化館に保存展示されている車輛は0系ショーティーの他にまだあるので、本記事ではそれらをメインに紹介していこう。
ところで、四国鉄道文化館は 北館 と 南館 に分かれていて別々2つの敷地に建っている。なので紹介記事も前篇・後編2回に分けて、前篇ではそのうちの北館から訪ねていくことにしよう。

北館は駅本屋口を出て右に建つ十河信二記念館の先にある

伊予西条駅北側の本屋口(まぁこちら側しかないが…)を出たら右スグに十河信二記念館が建っている。

右が十河信二記念館で、奥が四国鉄道文化館 北館。
上にも記したが、その先にあるのが四国鉄道文化館 北館で、この中に0系ショーティーと、他にDF50 1電気式DLが保存展示されているのだが、北館へ入る前に入口前の展示から眺めていこう。

■北館入口前の屋外展示
入口前の屋外展示は、左から十河信二氏の胸像、C58形SLの第二動輪、腕木式信号機、狭軌と広軌の比較が並んでいる。その中では狭軌と広軌(実は標準軌だが…)の比較が、地味ながら個人的には興味深かった。

四国鉄道文化館 北館の前の屋外に並ぶモニュメント。左から、十河信二氏胸像、C58SLの第二動輪、腕木式信号機、狭軌と広軌。
上のモニュメントの説明板(腕木式信号機を除く)。
と、ここまでは入館料がいらないが、この先、館内に入るには入館料が掛かる。この辺は開館時間も含めて巻末に纏めて記すことにする。

北館の中へ

北館へ入口から入館すると、まず目に入ってくるのは0系電車とDF50 1電気式DLだ。とは言っても、北館に保存展示されている鉄道車輛はこの2両のみではあるが。

北館を入ってスグ右には螺旋階段の展望台?があり、展示車輛を上から眺めることができる。左が新幹線0系電車、右がDF50 1DL。
■東海道・山陽新幹線0系電車
それでは0系電車から眺めていくことにしよう。上では「0系ショーティー」と酷い呼び方をしているが、短くなっているとは言え、れっきとした0系電車の本物なので、産業遺産級的にその価値は高い点を申し添えておく。

0系電車は西を向いて設置されている。
タラップがあって車内にも入れる。
0系電車の説明板。
上の説明板にはこの0系の車番が記されていないが、No.は「21-141」で、1976年製造のJR西日本所属車になる。
後の経歴は、2000年10月に引退。12月にJR四国が譲り受け、多度津工場に保存してあったが、その後に西条市がJR四国から借り受けて、この場に保存展示されたモノ。

0系電車の運転台にも入れる。
1976年製造だと転換クロスだが、リクライニングシートを装備しているということはアコモ改造車なのだろう。
0系電車の展示に付随するように「新幹線が果たした役割」と「新幹線と四国・西条市」の説明板が立てられている。

開館時期の設置のママなのか、左の地図に北海道新幹線がまだない(笑)。
顔写真が十河信二氏。
上では「新幹線建設が世界三大馬鹿に肩を並べるもの」と言われた迷言が、下では「新幹線の源流は西条にあり」のキャッチフレーズが目を惹く。

■DF50 1
DF50形DLは、四国が最後の働き場所になった形式で、DF50 1は1983年9月のラストラン後は多度津工場に保管されていたが、やはり四国鉄道文化館の開設を期にココへやってカマになる。

DF50 1の2エンド(東)側。
DF50 1の説明板。
上の説明板に記されているが、DF50形は電気式ディーゼル機関車で、ディーゼルエンジンで発電機を動かし、その電気にてモータを回して走る仕組みになっている。いまでは当たり前の方式と言ってしまえばそれまでだが、DF50形では出力制御をノッチによるエンジンの回転数制御によって発電電圧を上げ下げして主電動機の回転数を制御していたため、発車時にはポンポン船のエンジンさながらの大音響を轟かせていた思い出がある。ワルい意味ではなく、趣味的見地からすると心地よい音であったの意で、まだムービーカメラがアマチュアのモノでなかった時代なので、動画を撮っていないのが何とも残念だ。

DF50 1の2エンド側。駅弁展示で足回りが見えない(笑)。
DF50 1の1エンド側。機関車は新三菱重工三原製作所1957年製造。
タブレットキャッチャーに掛かっているのはタブレット。
DF50 1の1エンド側運転室。
■軌道用自転車
DF50 1の展示レールは奥(東)方に渡り板が架けられ、先ではまたレールが現われて、この上には軌道用自転車が展示されている。

DF50 1のレールの先に展示されている軌道用自転車。
軌道用自転車自体の展示はそれほど珍しいモノではないが、この展示位置の先(東方)は大きな扉になっていて、レールもなにやら本物の線路っぽい。
たいがいの方は察していただいたと思うが、このDF51 1 & 軌道用自転車を展示しているレールは本物の線路になっていて、それが先の屋外へも延び、なんと本線と繋がっているのだ。その気になれば本物(笑)の鉄道車輛も搬入して展示できるという施設は夢があって嬉しくなってくる。
そんな施設なら京都鉄道博物館にだってあるではないか…と言われそうだが、四国鉄道文化館 北館は2007年11月6日の開館で、京都鉄博は2016年4月29日の開館なので、実はコチラの方が先輩である。


■部品・用品類の展示物など
四国鉄道文化館には鉄道車輛以外の展示品だってたくさんあるので、それらの写真にて記事を締めることにしよう。

パンタグラフは、左が新幹線0系電車のモノ、右がJR四国8000系のモノ。
上段はDF50DL関係、中段は新幹線関係、下段はJR西日本とJR四国関係の鉄道グッズ。
四国急行懐かしのヘッドマークとサボ。
四国特急の絵入りヘッドマークなど。
国鉄時代の制服。
Nゲージレイアウトも小型ながらある。
記事ではズッと「四国鉄道文化館」と表記してきたが、実はこの周辺は展示施設をセットにした鉄道系テーマパークになっていて、一体的な総称として「鉄道歴史パークin SAIJO」と名付けられている。

南館前に立てられた周辺案内図。地図左から2番目が鉄道文化館 北館。
次回後篇では、上の地図右の南館を探訪するので乞うご期待。

四国鉄道文化館 北館
開館時間・休館日・入館料などは下記URLにて。
https://s-trp.jp/about.html

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。