天井川の掘削トンネル探訪(4) JR東海道本線・草津川隧道

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[場所]JR東海道本線 草津-南草津

天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです

鉄道の天井川トンネルというと、まず名が挙がるのが東海道本線の「草津川トンネル」だったりして、一般的にも有名な存在だが、実は2002年に下流部に草津川放水路が開削され流路を変更したため、天井川をなしていた旧河道は廃川になり、現在は水が流れていない。
とはいえ、未だに天井川トンネルは遺構として残っているし、このうちの逆U字形断面の隧道はどう見ても掘削トンネルと思われるので訪ねてみた。
当初、本シリーズは廃川のトンネルは対象から外していたが、方向変換して天井川の姿形が残っている河川の掘削隧道も紹介すべきでは…と考え直したため、なのでその1つめに「草津川トンネル」を選ばせていただいた。

南草津駅から上り電車に乗ると、500mほどで「草津川」を渡るが、コレは草津川放水路で、元・天井川の草津川跡はココからさらに500mほど草津(東京)方に進んだ所にある。
そして上写真の位置から約500mほど草津(東京)方に走ると元・天井川の草津川跡をくぐる草津川トンネルに着く。
天井川については、以前の2016年1月6日アップ「日本で最初に作られた鉄道トンネル石屋川隧道を訪ねてみた」の記事中でも説明しているので詳細はそちらに譲るが、まぁ、地平レベルより川底が高い河川と言えば理解していただけるだろう。
では、まず東海道本線草津駅5・6番線プラットホーム南草津(京都)寄りから南西向きに天井川掘削隧道の「草津川トンネル」北東側を眺めてみよう。

草津駅5・6番線プラットホーム南草津(京都)寄りから眺めた南南西向きの光景。DD51がいる線は下り列車線。なお、タイトル写真も同じ場所からで、琵琶湖強風により米原迂回運転で上り列車線を走行する、683系使用の特急サンダーバード。
次は旧草津川右岸(北北東)側の堤防へ登って、上からの景色と、川筋がどんな風なのかを眺めていこう。
ところで、筆者は駅東口から徒歩で向かったわけだが、この駅前にはペデストリアンデッキが架かり、その上には「草津宿ポケットパーク」なる広場が設置され、かつての草津宿が交通の要衝であったことを伝える「右東海道いせみち・左中仙道美のぢ」の追分道標のモニュメント(本物の碑は草津宿本陣近くにある)が立てられていたりするので、それも紹介しておこう。

草津駅東口ペデストリアンデッキ。奥に見えるのがJR草津駅橋上駅舎。
草津宿ポケットパークに立てられた碑。背景の建物は阪急オアシス。
そんなペデストリアンデッキの右手に建つ阪急オアシスの先の角を右折すると、300mほどで堤防の下に辿りつける。

de愛(であい)ひろばの入口。
そこにはde愛ひろばなる施設があるのでその前を右折し、堤防に沿った坂道を登って100mほどで線路の上へ到着する。
それでは、この地点からの東海道本線草津駅方(北北東向き)の眺めをお届けしよう。

見える駅は草津駅。列車は上り電車線を走りゆく221系電車。
旧流路も入れて撮ってみた。電車は下り電車線をゆく223系使用の快速電車。
お次にもう1枚。こちらは下り列車線をゆく223系使用の新快速電車。
ココの次は左岸(南南西)側の土手へいこうと思ったが、その前に、廃川ということで川底があからさまに見えるので、せっかくだから、その写真も載せておこう。
ちなみに、草津川は淀川水系の一級河川で、この天井川跡の旧河道や草津川放水路だけを眺めるとそんな大層な河川には見えないが、琵琶湖に流れ込んでいるということで、その琵琶湖が淀川水系の一級河川のため、支川の草津川も一級河川になる。

複々線部分の川底。アスファルトで固められている。
上地点から土手上を上流側に50mほど上ると上写真に写っている橋に着く。この橋上からの上流(南東)方の眺め。
その橋上からの下流(北西)方の眺め。川底手前の掘削トンネル部分の上もアスファルトで固められている。
左岸土手へは上写真に写っている橋を渡れば程なく着ける。
ではその土手上からの東海道本線南草津方(南南西向き)の眺めをお見せしよう。

上り列車線をゆくEF210押太郎牽引の貨物列車。左が南草津方。
もぅ1枚、下り電車線を走る223系使用の快速電車。なお、筆者が訪問した時には雑草が生い茂っていたため、線路の対岸からは列車を入れた写真が撮れず(笑)。
上地点でカメラを45度くらい左に振ったのがこの写真。列車は上り電車線を走る223系使用の快速電車。
そして堤防を降りて、上写真に見える踏切の通りにいってみよう。
この場所へは線路南南東側にある細道を下ると100mほどでいける。

上写真の踏切外左端あたりからの草津(東京)方の眺め。保線施設の扉が運よく開いていた。
なので撮れた逆U字トンネル坑門の望遠レンズによるアップ。
せっかくなので、この踏切からの列車の走行シーンも載せておこう。写真は、草津トンネルへこれから突入しようという上り列車線をゆくEF210牽引の貨物列車。
さて、結局のところ注目の掘削隧道は右から2番目の逆U字断面のトンネルになるわけだが、疑問点はコレが1889年(明治22年)7月1日の官鉄線(現・東海道本線)関ヶ原-馬場(現・膳所)間開通時竣工のなのか、1900年(明治33年)6月6日の現・東海道本線 草津-馬場 間複線化時竣工のなのかが、トンネルに近づけないため推測できなかった(まぁ間近で見ても解らないだろうが)点になろう。あくまで憶測になるが、一番右の新しい(笑)トンネルは坑門の形や構造からして 1956年(昭和31年)11月19日の 米原-京都 間電化orそれを目的で事前に竣工したと考えられる。
ではもぅ一つの掘削隧道はドコへいってしまったのか? おそらくであるが、1970年3月9日に使用開始した京都-草津 間複々線化の時に線路を敷設するため解体してしまったのではないだろうか。知らんけど。(←関西モノということで、いまトレンドの言葉を使ってみた・笑)
ただしどちらのトンネルが古い方なのかは、片方がないため見当がつかない。東海道本線 横浜-戸塚 間にある清水谷戸隧道では上り線トンネルが逆U字断面、下り線は馬蹄形断面で、この例を当てはめると現存する逆U字断面が古い方ということになるが、京都滋賀府県境にある日本で掘削された最初の山岳トンネル逢坂山隧道遺構東口は馬蹄形断面になっているので、坑門断面を見ただけでは新旧を見分けることはできないからだ。
上記の推測が間違っていたら申し訳ないが、鉄道施設を見学する面白さの一つに過去へ思いを馳せる楽しみ方もあるということを知ってもらいたいと思い書いてみた。

当シリーズ前回までは締めで「天井川をくぐる掘削隧道は、ココを除いて国内に…あと○本…」と記していたが、その後に近畿圏(都合により岐阜県南西部を含んでいる)以外にもあることを知ったのと、これからは廃川も対象にするため、以後は書かないことにした(汗)。折りを見てぼちぼち記事にしていくのは変わらないので、楽しみにしてていただけたら幸いだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
また、コロナ禍の最中ですが、外出自粛要請前の撮影なことを申し添えておきます。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。