鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR東海道本線 草津-南草津
天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです
鉄道の天井川トンネルというと、まず名が挙がるのが東海道本線の「草津川トンネル」だったりして、一般的にも有名な存在だが、実は2002年に下流部に草津川放水路が開削され流路を変更したため、天井川をなしていた旧河道は廃川になり、現在は水が流れていない。
とはいえ、未だに天井川トンネルは遺構として残っているし、このうちの逆U字形断面の隧道はどう見ても掘削トンネルと思われるので訪ねてみた。
当初、本シリーズは廃川のトンネルは対象から外していたが、方向変換して天井川の姿形が残っている河川の掘削隧道も紹介すべきでは…と考え直したため、なのでその1つめに「草津川トンネル」を選ばせていただいた。
では、まず東海道本線草津駅5・6番線プラットホーム南草津(京都)寄りから南西向きに天井川掘削隧道の「草津川トンネル」北東側を眺めてみよう。
ところで、筆者は駅東口から徒歩で向かったわけだが、この駅前にはペデストリアンデッキが架かり、その上には「草津宿ポケットパーク」なる広場が設置され、かつての草津宿が交通の要衝であったことを伝える「右東海道いせみち・左中仙道美のぢ」の追分道標のモニュメント(本物の碑は草津宿本陣近くにある)が立てられていたりするので、それも紹介しておこう。
それでは、この地点からの東海道本線草津駅方(北北東向き)の眺めをお届けしよう。
ちなみに、草津川は淀川水系の一級河川で、この天井川跡の旧河道や草津川放水路だけを眺めるとそんな大層な河川には見えないが、琵琶湖に流れ込んでいるということで、その琵琶湖が淀川水系の一級河川のため、支川の草津川も一級河川になる。
ではその土手上からの東海道本線南草津方(南南西向き)の眺めをお見せしよう。
この場所へは線路南南東側にある細道を下ると100mほどでいける。



ではもぅ一つの掘削隧道はドコへいってしまったのか? おそらくであるが、1970年3月9日に使用開始した京都-草津 間複々線化の時に線路を敷設するため解体してしまったのではないだろうか。知らんけど。(←関西モノということで、いまトレンドの言葉を使ってみた・笑)
ただしどちらのトンネルが古い方なのかは、片方がないため見当がつかない。東海道本線 横浜-戸塚 間にある清水谷戸隧道では上り線トンネルが逆U字断面、下り線は馬蹄形断面で、この例を当てはめると現存する逆U字断面が古い方ということになるが、京都滋賀府県境にある日本で掘削された最初の山岳トンネル逢坂山隧道遺構東口は馬蹄形断面になっているので、坑門断面を見ただけでは新旧を見分けることはできないからだ。
上記の推測が間違っていたら申し訳ないが、鉄道施設を見学する面白さの一つに過去へ思いを馳せる楽しみ方もあるということを知ってもらいたいと思い書いてみた。
当シリーズ前回までは締めで「天井川をくぐる掘削隧道は、ココを除いて国内に…あと○本…」と記していたが、その後に近畿圏(都合により岐阜県南西部を含んでいる)以外にもあることを知ったのと、これからは廃川も対象にするため、以後は書かないことにした(汗)。折りを見てぼちぼち記事にしていくのは変わらないので、楽しみにしてていただけたら幸いだ。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
また、コロナ禍の最中ですが、外出自粛要請前の撮影なことを申し添えておきます。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。