鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR弥彦線 燕三条駅
なんか架線切替部分ネタばっかりだな…っと言われそうだけど、また記事にしちゃいます。
タイトルの「直接吊(ちょう)架方式電車線」とは、JR(元・国鉄)の場合、シンプルカテナリから吊架線を除き、支持点(ビームに吊っている碍子部分)から2本の吊りロットによりトロリ線を吊架する方式のことで、新潟県のJR弥彦線の一部区間と同県内のJR越後線の一部区間は共に国鉄時代の1984年4月8日にこの方式で電化開業している。
国鉄タイプの直接吊架方式電車線はJR弥彦線・越後線など新潟地区以外では、JR和歌山線とJR境線、JR四国の一部にしかない、全国的には珍しいこの電車線吊架方式については2019年7月10日アップ「直接吊架方式電車線の終着駅を眺める」の記事中でも紹介してるのもあるしで、ご存知の方は多いはずだ。
ただし直接吊架方式電車線は全線に渡り張られているわけではない。同じ線内でもカテナリ架線の区間はかなりある。ということで、同線や越後線には直接吊架式電車線⇔カテナリ架線切替部分がそれなりに存在しているのが確認できている。
さてそんな電車線方式が異なる架線の切替部分だが、一般的に考えると駅間にコソッと設定されているイメージを抱くだろう。それが、弥彦線燕三条駅ではプラットホーム真横ら辺にあるのだ。
異なる電車線吊架方式同士の切替部分はどのようになっているのか、鉄道施設好きには気になっている箇所ではあろう(個人の感想です)。でも駅から離れていたりしたら、わざわざ歩いてまでして見にいく程の設備ではないかな?とは思い、取り上げないでいた(実は別の場所を見学している)。しかし駅のホーム脇にあってお手軽に眺められる場所もあるとなれば、「鉄道が主役の旅スタイルを応援」している当サイトとしてはココを鉄旅名所で紹介しなければなるまい(笑)。
では、そんな架線方式切替部分を、まずはプラットホームから見ていこう。
次は、弥彦線燕三条駅を下車して、外から架線方式切替部分を眺めてみよう。
在来線⇔新幹線の接続駅とは思えない弥彦線ホームのギャップが面白い
説明が遅れたが、燕三条駅JR上越新幹線の駅でもある。まあそんなのは読者の皆さんなら百も承知だろう。
しかしあえて書かせていただくと、在来線の弥彦線側はホーム1面1線の単線棒線駅で無人駅扱い(簡易スイカ改札機はある)の、ここだけ見るとそれなりのローカル線の駅だが、階段を上り細い通路を抜けると、その先にはいかにも新幹線駅という都会っぽいコンコースが広がる、このギャップが面白かったりする駅なのだ。
JR東日本の新幹線と在来線の駅舎が一緒の接続駅(東北新幹線の盛岡駅から北&北陸新幹線の所有者は鉄道建設・運輸施設整備支援機構)で、新在間にこれ程のアメージングな別空間が展開されている駅は燕三条駅しかないのではなかろうか。なお、当駅の上越新幹線での営業キロは信越本線東三条駅のモノを準用している。
ちなみに、上越新幹線 大宮-新潟 間の開通が1982年11月15日で、弥彦線・越後線の電化が1984年4月8日と、在来の弥彦線燕三条駅部分に架線が張られた時期の方が駅開業より後なので、ココに架線切替部分が設定されているのは偶然の産物ではないと思われる。
またこの周辺は、駅が「燕三条」だが北陸自動車道のI・Cは「三条燕」だったりと、命名にこの土地ならではの経緯が潜んでいたりする。そのヒストリーとかを考えながらあたりを巡るのもわりと面白い地域かも知れない。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。