鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]JR奥羽本線 山形-北山形
JR奥羽本線(山形線) 山形-北山形 間には山形城跡(霞城公園)の堀端を通る部分が600mほどある。
お城の堀端や堀の中を走る鉄道は東京のド真ん中や香川県の高松にもあるし、過去にあった場所では、空堀も含めれば、上田交通真田傍陽線や名鉄瀬戸線は有名で、いまでも廃線跡を見ることができる。なので、堀端を通るだけなら決して珍しくはないが、JR奥羽本線 山形-羽前千歳 間は異なるゲージの単線並列線になっており、結果この山形城跡の堀端を通る線路も当然異ゲージ単線並列線になっている。
というわけで、こんな組み合わせは全国でもここだけの「お堀端を通る異ゲージ単線並列線」といえる。
ややこじつけっぽいが「鉄道珍風景」(←勝手に名付けました)の一つとして紹介させていただくことにした。
ではなぜ山形-羽前千歳 間が異ゲージ単線並列線なのか。山形新幹線が1999年12月4日に新庄まで延伸された時に、山形-新庄 間の軌間が1,067mmゲージ→1,435mmゲージに改軌されたのは当サイトの読者ならご存知と思うし、北山形駅から分岐するJR左沢線と、羽前千歳駅から分岐するJR仙山線は軌間1,067mmでこの両線の列車は山形駅から出ているので結果、山形-羽前千歳 間は異ゲージ単線並列線にせざるを得なかった。とまあこれも皆さんご存知と思う。
この区間のクライマックスは、山形駅から北北東に約800mに位置する、城跡東側の濠ほぼ中間にある二ノ丸東大手門の橋の手前にさらに跨線橋が架かっている場所だろう。そこからは、近世初期の面影をとどめる城郭の堀端を駆ける列車を俯瞰できるが、特に新幹線電車と封建時代の櫓との組み合わせの、時代を超越した光景は見ていて面白い。
なお、山形城跡と二ノ丸東大手門の由緒は上写真の説明を読んでいただけたらとお願いしたい。
山形-北山形 間は1901年(明治34年)8月23日に山形-楯岡 間開通時に運行開始。1960年11月1日に山形-羽前千歳 間を直流電化。1968年9月8日に山形-北山形 間を方向別の複線化、山形-羽前千歳 間を交流電化に変更。1986年7月2日に北山形-羽前千歳 間を方向別の複線化。1998年10月27日山形新幹線延伸のための改軌工事により単線化。そして1999年12月4日に山形新幹線が新庄まで延伸開業した時に異ゲージの単線並列線になっている。
では、この区間にどんな車輛が通るのかを眺めてみよう。
この二ノ丸東大手門がどんなスタイルなのかを、本来ならドローンでも飛ばして上空からお見せしたいところだが、運よく知り合いの鉄道居酒屋にサンプルがあったので、それを、ここでお見せしておこう。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。
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